雨が降っていたから私はバス停に立ち尽くしていた。
 だけどバスに用があるわけじゃない、通学はいつも徒歩の私。つまり、傘がない。

 最初は小降りだったからいけると思って普通に歩いていたんだけど、悲しいかなすぐにザーザーと激しい音を立ててものすごい勢いで降りだしたものだから、とりあえずもう少しおさまるまで、とこうして屋根のあるバス停に一時停滞している。
 バスが来た。運転手と目が合う。
 腕でバツマークを作り、そのバスには乗らないよ、というアピールをした。運転手はにこりと笑って、了解の意を伝えてくれる。降りる人は誰もいなかったようで、ざー、という音を立てながらバスは私の目の前を通り過ぎた。
 ふー、いい運転手さんでよかった。たまに眉を顰められるから。

「あ」

 通り過ぎた瞬間、雨音を潜り抜けて聞こえた男の声にびくりと肩が跳ねた。
 その一言に、何とも言えないもどかしい気持ちというか、残念というか、ショックというか、あーあ、というか、そんな気持ちが込められているようで。
 つまりまぁその、なんだ。一言で言えば、行っちゃった…っていう感じ。
 やばいと思って声の主を見る。傘を差して残念そうな表情を浮かべる彼は確か、同じ学校の先輩だった。
 まぁ当然かもしれないがじっと見ていれば目が合うわけで。

「…ども」
「こんにちは」

 傘を畳みながら先輩が歩み寄ってきた。あぁ、なんか、私のせいで間に合ったかもしれないバスが行っちゃったんだろうな。ちょっと罪悪感。

「す、いません、私のせいでバス逃しちゃって」
「いや大丈夫だよ、僕ももっと早めに着いてるべきだったし。次の待てばいいから気にしないで」

 まさしく「気にしないで」というような顔で先輩は笑う。
 眼鏡を直しながら時刻表を見て、腕時計を見て、すぐ来るよ、ということを私に伝えると目を瞬かせた。

「そういえば何でさっきのバス乗らなかったの?駅行きのバスしか出ないよね、ここ」
「あー、なんていうか、…雨宿りなんですよね私。徒歩組なんで」

 朝から天気予報で今日は雨だと言っていたのに傘を忘れた恥ずかしさを誤魔化すように私はへらりと笑って、頷く先輩にそう説明した。
 先輩は相槌を打ってから、少し考え込む。バスはまだ来ない。

「…傘貸そうか」

 急展開だった。少女漫画かこれは。

「えええ!?いやいや、見ず知らずの先輩から傘借りるなんて!」
「見てるし知ってるでしょ」
「そういう問題じゃ…!!そ、それに名前も申し訳ないんですけど知らなくて…」
「名前?あぁ、僕はエ…」
「…エ?」
「………」

 名前を教えてくれようとしていたであろう先輩は、おそらく頭文字であろう「エ」でそれを区切ると少しの間黙り込んで、そのまま答えを教えてくれずに「はい」と笑顔で私に傘を差し出した。

「…ええと、」
「傘、借りてくれる?名前は返すときに僕が教えるってことで」
「か、返すときに?」
「うん、そうしたら誰かに頼まないで必ず君が返しに来てくれるかなーって。駄目かな?」

 整った顔が優しく笑って首を傾げるから私は首を横には振れなくて、それでも先輩が帰路雨に濡れてしまうことを考えるとその傘を受け取ることもできない。
 そんな私の様子を見て先輩は困った様子も見せずくすりと笑うと、振り返って道路の先を見た。

「ほら、バス来ちゃうからさ、早く早く」
「ええ!?でも先輩、バス降りたら濡れるじゃないですか!」
「きっと僕がバス降りるころには止んでるからさ」
「嘘ですよ!」
「あはは、ほらバス来ちゃうってば」
「でも…」
「僕の家バス降りたら結構すぐだから大丈夫だよ。ほら、早く」

 くん、と優しく押されるように向けられた、先輩の瞳の色みたいな青い傘を、私はついに受け取ってしまう。するとタイミングを見計らったかのようにバスがやってきて、先輩が「ほらね」と笑った。
 学年とクラスだけ私に告げてバスに乗り込んでしまった先輩は最後にひらりと手を振って、ブザーと共に扉が閉まる。
 綺麗にたたまれた傘を開くのがもったいなくて、そしてあの笑顔が頭から離れなくて、私は結局そこで雨が落ち着くまで雨宿りをすることになってしまったのだけれど、借りたことを後悔はしなかった。
 明日はちょっとだけオシャレをして、何か小さなお礼をつけて、一つ上の教室まで向かおうかな。



(09.0527)


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