かさかさと私の右手からぶら下がる小さな紙袋の中で揺れるのは、さっき買ってきたばかりのクッキーだ。今日はお家にお呼ばれしたから、お邪魔しますとよろしくねの気持ちを込めてこれを購入した、きっと喜んでくれると思う。名前さん、って笑ってね。可愛いなあ。 元中の友達の家に遊びに行った時に出会った基子ちゃんは三つ年下でまだ中学生の女の子。私の友達の妹の友達、ってことで四人で何となく喋ってたら、意気投合しちゃってちょっと仲良しになったのだ。今日はテスト前だって言うから、大した役には立たないと思うけど、と言葉添えもしつつ勉強を見にお邪魔することになった。まだ一週間も前みたいだから、気軽にお話しながらできたらいいねって言いながら。 表札に視線を落とす――井浦、ここだここ。チャイムを鳴らす。ぴんぽーん。……、あれ、誰も出ない、おかしいな。 携帯で時刻を確認するが、約束の時間の五分前だ。早かったのかな?首をかしげながらも、私はもう一度だけとチャイムに手を伸ばす。 ぴんぽーん。 「はい」 聞こえたのは男の子の声で、無用心にもそれはインターフォンからではなく開いた扉の先から聞こえた。もし私が怪しい人だったらどうするつもりなんだろう――なんてくだらない考えはまあ、すぐに飛び去ることになってしまったんだけれど。 何でかって。見開いた瞳が私を映し出して、同じように、私もぱちくりと睫を上下させて彼を見る。 「………、苗字さん?」 何に驚いたって、まず彼が私の苗字を知ってたことにびっくりだよね、っていう。くらいの、距離のある彼は、クラスは違うけれど同じ高校の同級生だった。 そうか、どこかで見たことのある顔だと思った。基子ちゃんにだってそっくりだし、何より苗字が井浦なのに何で今まで私気づかなかったんだろう。挨拶すら交わしたことの無いような薄い仲だから、仕方が無いのかもしれないけど。 「こ、……に、ちは」 ぎこちない笑顔で私が答える。彼も目を見開いたまま、軽くだけど会釈した。どうしたの?何でここにいるの?って顔してる。 同級生の家に訪れて、玄関先にその同級生が出たのに、会いに来たのは別の人っていう不思議な感覚。そういえば基子ちゃん、お兄さん居るって言ってたな… そっかあ。薄い記憶を思い出すこと、数秒。どたどたと廊下を走るような音がして、井浦くんを押しのけて基子ちゃんが顔を出した。ほっと安心した私は、頬の力を緩める。 「ちょっとお兄ちゃん!ごめんね名前さん、これうちのお兄…」 「え、何。モトと知り合いなの?苗字さん」 「あ、うん、そう」 「え、何、お兄ちゃん名前さんの知り合いなの?」 「あ、うん、そう」 「基子ちゃんのお兄ちゃんって、井浦くんだったんだね…」 「え?あ、うん、そう…」 ちょっとの沈黙。立ち込める何ともいえない雰囲気は、浮気が発覚した修羅場にちょっとだけ似ていて居心地の良いものでは無かった。そこから抜け出したくて、私は右手にぶらさげていた存在を思い出す。 「あ、そ、そうだ基子ちゃん、クッキー持ってきた!例のやつ!」 「え、前話してたお店の?」 「そうそう!」 「わー!ありがとうございます!あ、お兄ちゃんなんか気にしないで中入ってください」 紙袋を受け取った基子ちゃんが、嬉しそうな笑顔で中に導いてくれる。 「じゃあ、おじゃましまーす」 釣られて笑顔になった私は基子ちゃんの手招きを受けて靴を脱ぎ、廊下に上がった。顔を上げて、ぽかんとしている井浦くんと目が合う。気まずさを誤魔化すためにへらりと笑んだ笑いが引きつってなければいいけど。 「ええと…井浦くんも食べてね、美味しいからあのクッキー」 「あー、うん」 「名前さーん!早く!」 呼ぶ声に急かされてその日はそれきり、基子ちゃんの部屋でちょっとの勉強とおしゃべりとお茶とクッキーを楽しんで、帰る時にリビングに顔出して挨拶はしたけど、それ以外の会話は井浦くんとは無かった。 不思議な感じだった。井浦くんの学校でのイメージってもっと、明るくて騒がしいムードメーカーキャラな印象で、初対面でもどついてくるんじゃないかってくらいだったのに。 まあでも、家での顔って違うって言うしね。 私は今まで喋ったこともなかった井浦くんのことを考えながら、軽くなった荷物を揺らして帰路を辿った。 明日学校で会ったら、ちょっと話しかけてみようかな。おはようって、それだけでも何だか嬉しくなれるような気がするんだ。 (2010.11.07) |