「府内くん」

 私が声をかけると彼は肩を震わせて驚いた。そんなに驚かなくてもいいのに、と笑う私を見て、府内くんは目を丸くする。何で俺だとわかったのだ、という目ではなくおそらく、何であんたがここにいる、という目だろう。しばらく口をパクパクとさせた後、帽子を被りなおして府内くんが口を開いた。

「…ええと」
「忘れた?名前、顔?それとも両方?」
「いや、いや、覚えてるよ。苗字だろ?」

 だろ?というよりは、だよな?といった感じのその言い方に笑いをこらえながら、そうだよ、と彼を安心させる。それと同時に私も、忘れられていなかったことに大きな安心を覚えた。声をかけてよかった。後ろ姿でもすぐにわかるのだ、だって奴は目立つから。

「懐かしいな、去年ぶりじゃねー?」
「そだねー、府内くんがうち辞めてから」
「だっ、から、しょうがなかったんだよアレは!確かにいい職場だったけど、もっと稼げるとこ見つけちまって」
「わかってるって、あんとき事情は聞いたし」

 もう二年は働いている私のバイト先に去年、彼はいた。何てことのない普通のファミリーレストランなのだがとてもいい人たちばかりで、私は何の苦もなく働き続けている。そりゃ面倒だとか辞めたいとか思ったことはあったけど、それでも辞めなかったのは職場の皆のおかげだ。
 そんな中にたった数ヶ月ではあったが入り込んできたこの府内西丸という男は、あのバルヨナなんちゃら高校に通っているという話もあって最初は近寄りがたかったが、すぐにその人間性がわかり仲良くなった。話しやすいだけでなく気も使える男だ。同じ学校ならばもしかすると、すごくモテていたのではないかと感じるほどに。

「苗字はまだあそこで働いてんの?」
「おーもちろんよー。就職先見つからなかったら雇ってもらおうかなーみたいな勢い」
「大歓迎なんじゃね?むしろ嫌だつっても正社員にされそうだけど」
「ありえるから笑えない」

 そう言って私がわざとらしく苦笑いを浮かべれば、気持ちのいい笑い声で返してくれる。久しぶりに見た彼の笑顔は何だかいっそう輝いて見えた。下手をすると惚れてしまうのではないかと思うくらいにいい感じの笑顔で、下手してしまったらどうしてくれるんだと心の中で私はぼやいた。

「今度来てよ、一人でも誰か連れてでもいいしさ」
「あー、そうだな」
「どうせなら彼女とか連れてきてよ」

 他の男友達にそうするのと同じように笑いながらそう言ってみたものの、何故だか違和感を感じる。いい気持ちがしない。どうせならかのじょとかつれてきてよ。大した台詞じゃないのに何故だろう。深く考えると大変なことになりそうなので私は無視することにした。

「あぁ?いねーよ、つーかあの高校で出来るわけねーだろが」

 そしてその返答に安心を覚えたことにも無視を適用することにした。さすが私だ。

「バイト先とかでさ、できたりとか」
「できえねぇっつーの、そういうことしにいってるわけじゃねーんだし。ま、ダチ連れていくよ」
「あんま怖い人連れてこないでよ?」
「あぁ、変な奴連れてく」
「それもできればやめてね」
「無理だな、だってあそこ変な奴しかいねーもん。…っと、わり、時間」
「おー」

 携帯のディスプレイを見てから申し訳なさそうな顔をする府内くんに、こいつやっぱりいい奴だなーなんて思って、それからもう別れなくてはならないことに酷くショックを受けた。そしてその事実にまた、私はショックを受ける。もしかして、もしかすると、もしかするのかもしれない。いやいやそんなことは。そんな自問自答を繰り返している間に、じゃあな!なんて爽やかに手を軽く上げて府内くんは走って行ってしまった。慌てて顔を上げるともう手の届かない場所に府内くんはいた。だから少しでも届けと声を張り上げて叫んだ。

「じゃあね!」

 またねと言えない自分が腹立たしい。もしかするとこの街中で彼を見つけることができたのは、彼が目立つから、なんてそれだけの理由ではないのかもしれない。だけどそれを認めるのが嫌で、またねと言えなかった。だけど、

「おう!またな!」

 わざわざ振り返って府内くんがこんなことを言うもんだから、熱くなった頬を認めざるを得なくなったのだ。ちくしょう、なんなんだバカ。ほんとにもう、なんなんだ。またなって言ったからには絶対にうちに来いよ、来なかったら呪ってやる!
 なんだかもうグルグルで泣きそうになりながら私は、彼が見えなくなるまでずっと、その背中を見送っていた。見送りながら、下手してしまったな、と笑った。そんなことを考えていたら何だか可笑しくなって少し笑い声が漏れてしまったけれど、すぐため息にかわったそれはきっと、これからどうしようという私の心の叫びだったに違いない。



(07.0604)


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