久しぶりに訪れた菊の家は以前訪れたときと別段変わりはなかったが、彼の表情に疲れが見えていることは確かだった。最近仕事で忙しいらしい、やっとのことで私と会う時間を作ってくれたようだ。彼自身はそう口にはしなかったけれど、さっき終わったばかりのような彼の机の上に積み上げられた大量の書類を見て、眠そうな彼の瞳を見て、そう感じた。

「大丈夫なの?疲れてるんじゃない?」
「大丈夫ですよ、睡眠はとりあえず取ってますし」
「何時間寝た?」
「三時間ですけど」
「三時間!?駄目だよ不健康だって、私いいから寝て、寝て!」

 確かに、睡眠は一時間半のサイクルで成り立っている、なんて言われているけれど、せめて六時間は寝て欲しいところだ。忙しいのだから仕方がないのかもしれないが、それなら自分と会っている時間を少しでも休憩に回して欲しい。
 必死に睡眠を取れと説得をしたが、小さく微笑んだだけで流されてしまった。菊はこういうところがずるい気がする。曖昧な返答をして流してしまうのだ、そういうときこそしっかりとした返答が欲しいのに。

「恥ずかしいことに布団、敷いたままでして。なので名前さんが帰ったらすぐ寝ますよ」

 それでは早く帰らなければと考えた私の背中を押しながら、縁側で日にでもあたりましょうか、と奥へ押していく。仕方なく私が縁側に腰掛けると、菊は少し嬉しそうな顔をして、少し待っててくださいねと障子の奥へ引っ込んだ。
 それにしてもなんというか、菊の家は本当に落ち着いている。鳥の鳴く声、水の流れる音に心地よい陽だまり。そこに竹で作られたソウズという装置がカポンと響くのが、とても心地よかった。ああ、なんだかうとうとと溶けてしまいそうになってくる。ううん、だめ、せっかくにほんにあいにきたんだからねたらだめだめだ、だめ、だめ、

「名前さん?」
「っわぁ!?」

 かくり、と首が前に向かおうとしたとき、菊の声が体中に響いて、私は変な声を上げてしまった。恥ずかしさを中途半端な笑いで誤魔化しながら菊を見上げると、その手にはお茶と茶菓子の乗ったお盆。出た、これが美味いんだ。菊は私の横にそれを置くと、お盆を挟んで私の隣に腰掛けた。

「眠いんですか?」
「いや、気の迷いだよ、気の迷い!ちょっと太陽の奴にやられてさ」
「ふっ、そうですか」
「そうですよー。あ、お茶いただいていい?」
「どうぞ」

 菊の答えを聞くなりすぐにお茶に手を伸ばす私。少し喉が渇いていたから、少し熱めのそれはじわりと喉にしみこんだ。茶菓子にも手を伸ばすと、菊が笑った。

「?なに、菊」
「いや、なんでもありません」
「うそだー!菊てすぐそうやってなんでもないって言うよね」
「名前さんとこうしてのんびりするの、久しぶりだなーって思ったんですよ」

 茶をすする。確かに久しぶりなのだけど、だからって何故それが笑う理由になるのだろうか。疑問に思ったけれど、何となく菊の気持ちを察してしまったから何も言わなかった。多分、私も頬が緩んでいるだろう。

「でも、ほんと。菊といるとほっとするなぁ」

 頬を緩めたまま、お茶を啜った後にそう一言呟く。すると菊は目を丸くして私を見た後、嬉しそうに微笑んだ。私もですよ、と言っている気がして、なんだか嬉しい。だって、菊とは喋ってても、黙ってても、何をしても安心するんだ。もし菊も私に対して、少しでもそう感じてくれているのなら、本当に幸せなことだな、なんて思う。

「そうだ!菊、今度さ」

 うちでお茶しない?
 そう言いかけてハっと気付く。隣にいる菊がうとうとと、今にも倒れそうになりながら夢と現実の世界を彷徨っていた。私は慌てて湯のみをお盆に置くとその盆を奥に押しやって、菊に近づいてその体を支えてやった。すかー、と聞こえた小さな寝息。触っても起きないなんて、やっぱり相当疲れてたんじゃないの。
 起きたら怒るかな、と思いながらも菊の頭を自分の膝に乗せてみる。膝枕、というやつだ。自分で言うのも変な話だが、なかなか絵になる構図じゃないだろうか。ポンポンと彼の体を優しく叩いてみる。膝から菊の暖かさを感じて、でれ、と緩む頬は隠さずに。
 彼が起きるまでこうしていようと思う。きっと足は疲れるだろうけど、たまにはこういうのもいいんじゃないかと思うんだ。



(07.0604)


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