| 「名前、ほれ」 一緒に買い物をしていた友達の携帯に電話がかかってきた。彼氏かな、と思い、彼女が話をしている間に私は今まで見ていたアクセサリーを見なおしていたのだが、いきなり目の前に携帯を突き出されて思わず受けとってしまった。 「…誰？」 「名前の知ってる人ー。いいから話してみ」 彼女はそう答えた。もう一度聞いたが、口元に人差し指をあててニヤニヤと笑っているだけだ。わけもわからないまま携帯を耳にあてる。 聞こえてきたのはガタガタという雑音と、遠くから聞こえる聞き取れない会話。まだ携帯の主が電話に出れる体制ではないのだろう。多分、今喋っても私の声は届かない。数秒ほどたってからやっと、ド、と大きな音が聞こえる。指がぶつかったのだろう。そしてそれからやっと、受話器の向こうの人間が出た。 『おう、あつし？』 男の声だ。聞いたことがある気もするが、誰だかわからなかった。驚いて友達を見る。彼女はそれに気付くと楽しそうに笑って、それから見ていたピアスに視線を戻した。 あつし、とはおそらく、今私の横でにやにやと笑みを浮かべている女の彼氏のことだろう。ということは、電話の相手が「あつし」だと勘違いしているということだ。 「ち、違いますけど」 思わず早口にそう答える。隣にいる友達が吹き出すのが聞こえた。 『え、ちょ、待っ、はぁ！？え、っと、』 私に話しかけているのか一緒にいる人に話しかけているのかはわからなかったが、ガタガタと雑音が再び聞こえた。ふざけんじゃねぇ、とか遠くで聞こえたから、多分さっきのも彼が一緒にいる人に言ったのだろう。 友達が私の肩を叩く。私が彼女のほうを見ると小声で、「それ、府内だよ」と言った。同じクラスの府内くんか、だから聞いたことのある声だったんだ、と妙に納得。話したことない、と首をふって訴えたが無視だ。携帯を返そうとしたら却下された。 「えっと、府内くん？」 観念して携帯を耳元に戻しそう聞いた途端、今度はヘアゴムを見ていた友達がもう一度吹き出した。通話相手が喋ったことに気付いたのか、雑音がまたガタガタ。 『えっ、な、何？』 少し慌てているのか、動揺してるのか、噛みながら電話先の相手はそう返す。 「…ねぇ、困ってるみたいなんだけど」 「いいからいいから、ちょっと喋っててよ。私これ買ってきちゃうから」 通話口を押さえて友達にそう訴えたが、ゴムを持ってヒラヒラとレジに向かって歩いていってしまった。しょうがなく手を離して会話を続ける。 「府内くんだよね？」 『あぁ』 「えっと、今一緒にいんの、"あつし"くんじゃなくて私なんだ」 『お、おぅ』 相変わらず噛みながら府内くんは答える。私も少し緊張していた。話したことない男子と電話で話すなんて、そんな。そしてグルグル回る頭の中で思った。私、名乗ってない。 うわあ、やばいよ、どうしよう。すぐに名乗ればいいのだが、声がなかなか出てくれない。そんなこんなで混乱している間に府内くんが口を開いた。 『苗字は電話の相手俺だって知ってた？』 へ、と思わず間抜けな声を出してしまう。…あれ？ 「し、知らなかったよ。電話取った後に聞いて…」 『そ、そっか』 「府内くんは？」 『俺も。あつしだと思ってた』 当然のように沈黙が訪れる。気まずい。 しっかりとよく聞いてみると、よく通った声をしている。電話越しで聞きづらいはずなのに、どもりながらではあったが、彼の声はよく響いた。そういえば府内くんて、バイトとかたくさんしてるんだっけ。やっぱり声張ったりするのかな、だからかな、いい声してるよな。 なんて心の中で考えつつ、でも口に出せるわけがなくて、府内くんは「えっと…」だのなんだのと言葉を濁しつつきっと、何か話題を考えている。私も考えなくちゃ、そう思ったとき、 「会話は弾んでー…ないみたいね」 友達が楽しそうに戻ってきた。笑ってる。この女、と思い切り睨みつけてやったが楽しそうにけらけら笑うだけだった。 「あ、戻ってきた。携帯返すね」 『え？あ、あー…悪ぃ、わかった』 「んじゃ…」 『あ、あーーーの、あの、』 「…ん？」 『あ、明日な、また明日』 わざわざそう付け加えた府内くんが何だか面白くて、笑い混じりに私も返す。「また明日ね」そして友達に携帯を返した。もっと話しなよとブーたれる彼女を無視して押しつける。 よく考えてみれば明日は日曜日だとか、何で私名乗ってないのに府内くんは電話の相手が私だってわかったんだろうとか、いろいろ思うことはあったけど、こそばゆい一つの答えにたどり着いてしまった私はそんなことなどもうどうでもよくなってしまった。 明日会えるかどうかはわからないけど、明後日からはちゃんと、挨拶とかしてみよう。きっと返してくれる、またどもりながら。勘違いでもいい、どっちにしろ、私はこのときから彼に惹かれ始めたのだった。 (07.0625) |