馬鹿にしていたのかもしれない。七松小平太はただの面倒で騒がしい男だった。彼は私に好意を寄せてくれていたけれど、どこかで私は彼のことを下に見ていた気がする。
 やりたいことをして、好きなように生きている。そういう生き方は憧れるけれど、知性が無く頼りになどならぬ男だと、きっと私は見下していた。

 あの時、気がつけば鋭い痛みが腹部を襲って私は膝をついていた。驚いた一年生の足が震えて止まっていたから、逃げてと叫んだ気がする。地に着いていた足が勢い良く浮いて、担がれたと分かったのは目の前に広がる赤い色から。それは、彼らの纏う忍装束の色なのか私の血の色なのか私じゃない誰かの血の色なのかそれすらもわからずに、瞼が重くなって遠いどこかに私は吸い込まれていった。
 目が覚めたら冷たくて暗い場所に横たわっていた。手は後ろ手に縛られていて動けない。
 捕らえられたのだと気づくのに時間は全くかからなくて、このまま死ぬのも嫌だけど、人質に使われるのも絶対に嫌だなとぼんやり考えていた。外の光すら差し込まぬ地下の牢屋は静かで薄暗い。目を閉じた方がまだ闇じゃない気がして、私は瞼の力を抜いた。このまま石畳の冷気を吸い込んで、冷たくなるのもいいかもしれない。

 短い叫び声で閉じていた目を薄らと開いた。瞼を落としてからその時までどれくらいの時間が経ったのか、私は眠っていたのか、わからなかったけれど腹部の痛みはまだ減りもせず増えもせずに変わらずに続いていたから大した時間は経っていないのかもしれない。上体を起こして何が起きているのか確かめたかったけれど、思っていたより私の身体は弱っていたようで、思うように動くことができなかった。
 だから最初、彼の声が何を叫んでいるのか理解するのに、少し時間がかかった。
 私の名前だ。

「名前!!」

 どこか悲痛に響く音。鉄格子の隙間から覗く小平太の目が私に向けられ歪められていて、それを見た私は泣きそうな気持ちになった。
 小平太の武骨な指が、牢の鍵へと伸ばされる。今、出してやると唇がそう動いた。見開けぬ視界でぼんやり眺める視界に光が差す気がした。私は相変わらず動くことができずにいて、それがとても情けなくて、気がつけばあちこちにあった傷口が傷んで、でも小平太から目が離せなかった。
 だから気づいたのだ。彼の背後に、忍び寄る赤い姿。
 名を呼ぼうと唇を開き息を吸うけれど、ひゅうと乾いた音がして声が上手く用意されずに喉が痛いと悲鳴をあげるだけで。だめだ、だめ、後ろを向いて。私がそう瞳で訴える彼に向け赤の忍者は何かを振り上げる。
 小平太は振り向いた。驚いた様子も無かった。私には彼のその大きな背中が見えて、その先の男の姿はもう見えなくて。跳ねる、何か赤いものも、少しだけちらついた。
 がさつな彼しか知らない。馬鹿みたいに騒いで煩く走り回る背中しか知らなかった。私を呼ぶ声だって、じゃれる子供のような声だ。ふざける小さな少年の声だ。
 その声が、鋭利な響きで、空間を震わせる。

「邪魔をするな」

 低いその声を、私は知らない。

 鍵が開き私に差し出された手はとても温かかった。その温もりが身体いっぱいに広がって、私は抱きしめられたのだと知った。広い胸だ。頬を寄せれば、安堵が全身に広がる。土と、草と、血の匂いがした。

「…もう大丈夫だ」

 優しく響く声。頼もしい温度。あんなに冷たく静かな声を持つ男だと私は知らなかった。こんなに温かな男だと、私は知らなかった。




(10.1220)


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