ガゼルが父さんにとって用済みになった。
もうマスターランクではない。ジェネシスにはなれない落ちこぼれ。
ライバルが減ってすっきりした筈なのに、グランからそのことを伝えられた時のガゼルの暗い瞳と震える肩を思い出すと素直に喜べず、むしゃくしゃする気分のまま廊下を歩いていた。
自室に向かう為廊下の角を曲がろうとすると、何メートルか先にガゼルがいるのか見えた。
こちらには気付いていないようだ。
壁に寄りかかり、心ここに在らずといった感じでぼうっと天井を見つめている。
猫みたいだな、と思った。
猫はたまにジッと何もない場所を見つめていることがある。
実際には何かを見てる訳ではないのだが、人間にとってはまるで自分たちには見えないナニかが猫たちには見えてるかのように感じられて、不気味に思う。
猫のことを考えると胸の中になにか引っ掛かるような感じがした。
何だっただろうか。
猫。そうだ猫。思い出した。
いつだったか、おひさま園の誰かが仔猫を拾ってきたことがあった。
痩せ細っていて、白い毛がドロドロに汚れていて、そりゃあ酷い有様だったが確かに生きていた。
猫用のミルクをやったり、毛布で暖めてやったり、園児たち皆で一生懸命世話をしていたが、そいつが元気になる様子は無かった。
そしてそ拾われてきて一週間ぐらい経った朝、その猫は突然居なくなった。
みんな心配したが、朝食のときに吉良瞳子が笑顔で話した。
「貰い手さんが見つかりました」
周りの奴らは喜んでいた。よかった、あの子は幸せになれるんだね、と。
しかし俺には信じられなかった。
あんな弱った猫を引き取ってくれるようなお人好しがいるとは思えなかったし、あの猫を見に来た部外者もいなかった筈だ。
あぁ、死んでしまったんだな。
子供たちを傷つけないようにする精一杯の配慮だったのだろう。
しかし俺は無性に悲しく感じたのを覚えている。
あの仔猫は子供達の心の中では今でも生きており、幸せになっている。
本当は痩せた身体のまま死んでしまったと言うのに。
その時の猫が、ガゼルと重なった。
消え入りそうな雰囲気で、やつれていて・・・。
フッと脳裏にあの時の吉良瞳子が思い浮かぶ。
どこか悲しそうな笑顔で、やさしく俺たちに話しかける。
「涼野くんはご両親とまた一緒に暮らせることになりました」
俺以外誰も気付かない。皆笑っていて、いなくなったアイツが幸せになったと信じている。
我に帰り顔をあげると、相変わらずガゼルはぼんやりと空を見つめていた。
まだ、今ならまだコイツは救える。
あの猫ほどボロボロにされちゃいない。
体の芯から冷えきる前に暖めてやりば、毛が抜けるほどボロボロになる前に抱きしめてやれば。
そう心の中で呟きながら、俺はガゼルの手を掴むために一歩踏み出した。
2011/12/07