寂しがりやの少女の噺


「雪、あんたちょっと顔色悪くない?」
「あー…その…今日、一日目で…。久々にすごいのが来たっていうか………まあ、死にやしないし、大丈夫…」
「薬は?」
「飲んだ。全く効いてる気がしない」
「お腹冷やさないようにね」
「うっす…」

朝から腹痛、頭痛、腰痛、吐き気と気分は最悪だったが、学校には来た。お母さんには休んだら? と言われた。仮に友達が同じ状況だったら多分私も、帰って休んだ方がいいと言うと思う。それでも学校に来たのは………そう、授業に遅れたくないからだ。一瞬中原の顔が頭に浮かんだが気の所為だろう。そろそろテスト期間。こんな時期に学校を休みたくなかった、それだけだ。

「…オイ、」
「…、」
「…雪、大丈夫か?」

隣からすっかり呼び慣れた下の名前で、中原が私に小声で話しかけてくる。無言で頷いて見せるが、恐らく「大丈夫」に見えてはいないだろう。正直、口を開く元気もない。板書だけは気力で写しているが、先生が何を言っているかもよく分かっていない。今は夏なのに、何故か寒気がする。
何でこんなに痛いの。薬効けよ。

「…オイ、立てるか」
「…あ、うん、へいきへいき」
「……ダメそうか」

中原が軽く腕を引いてくる。何か話しかけてくる、くらいの認識でへいへいと返事をしていると、彼は屈んで俯いている私と目線を合わせてきた。
あれ、この人何やってんだろう。
心配そうに見つめてくる青い目を不思議に思う。

「保健室、行くぞ」
「…保健室。…でも、授業、」
「もう終わった。残りの授業はあとでノート見せてやるから、休め」
「…うん」

中原に言われて気づいた。先生は既にいないし、教室内は騒がしい。休み時間だった。視線を彷徨わせると、樋口と目が合う。こちらを心配そうに見ていたが、横にいる中原に気づくと決め顔で親指を立ててきた。何なんだあいつは。

「…雪?」
「…あ、ごめん、平気。ひとりで行けるから」
「いや、無理だろ。いいから行くぞ」

結局、中原は私がベッドに辿り着くまで付いて来た。
……保健室の、三つあるうちのベッドの一つがカーテンで完全に閉ざされている。ただの病人、という可能性もある──というかその方が高い──のに、何だかすごく嫌な予感がした。気の所為だと思いたかったが、中原も野生の勘が働いているのかカーテンの向こうをじっと睨みつけているため、どうも気の所為では済まないらしい。

「……中原、まさかとは思うけど、あそこ、」
「…その声は雪ちゃんかい?」

隣にいる彼に確認するよりも先に、仕切っていたカーテンが勢いよく開いた。
最悪だ。

「…オイ青鯖、手前何でここに居やがる」
「何でって、気分が悪いからに決まってるじゃないか。保健室は体調の悪い人が来る場所だよ? 知らないの?」

…いや、お前は絶対仮病だろ。
小馬鹿にしたように鼻で笑うナルシストに、心の中で突っ込みを入れる。今はこいつと会話をする元気はない。ただでさえ最悪な気分が、これ以上悪化することになるとは思わなかった。しかし、勘弁してくれという私の願いが届いたのか、保健医の美人な先生がナルシストを追い出してくれた。「元気そうね」と先生に笑いかけられた時の、何とも言えない愛想笑いが忘れられない。ざまあみろ。

「…これでゆっくり寝られそうだな」
「うん。わざわざごめん」

ほっと一息ついた私に、中原が苦笑する。ベッドに腰掛けて青い目を見上げると、じっと見つめ返された。…教室に戻らないのだろうか。

「……なァ、」
「?」
「…いや、今はやめとくわ。ちゃんと休めよ。次の授業が終わったら様子見に来るからな」
「え、いいよ。大丈夫」
「お前の“大丈夫”は信用ならねぇ」
「う…」

私が断り切れないまま、中原は教室に戻ってしまった。
でも、いいやつだな、中原。
何となく、あの青い目が夢に出てくればいいのにと思った。




「…雪、好きだ」

自分の髪と同じ色の夕日を背に、中原は真剣な目でそう言った。
最近日が短くなってきた。そろそろ夏も終わりに近づいている。そんなことを頭の隅で思いながら、目の前に立つ男を見つめた。
…あまり考えないようにしていた。でも、樋口は当たり前と云った顔で弁当を食べながら言っていた。「中原、絶対にあんたのこと好きでしょ、あれは」と。ほんの数日前のことだ。

「…驚かねェんだな。知ってたのか」

眉一つ動かさないまま黙り込んでいる私に、中原が苦笑する。
…あまり考えないようにしていたことではあるが、樋口の言葉を否定することも出来なかった。中原は優しい。人当たりもいい。だけど、私に向けるのと同じ優しさを、眼差しを、他の女子にも向けているのを見たことは無かった。私はそのことに、気づいていた。けれど、気づいていないふりをしていたかった。

「……中原は、面白いし、優しいし、いいやつだと思う」
「…おう、」
「…でも、私には、恋とか愛とかわかんない。…中原は…私に、何を求めてるの」
「俺のモンになれ」

青い目が、あまりにも真っ直ぐこちらを見つめてきて、思わずたじろぐ。深く静かな青なのに、なぜかその目が燃えているような気がした。赤い髪と夕日の所為かも知れない。

「…俺を男としては見れねェか?」

…分からない。
中原と目を合わせていられなくて、視線を逸らして答える。
逃げてしまいたい、と初めて思った。今まで中原は、一緒にいて楽しい奴で、離れたいと思ったことなど一度もなかったのに。

「…考えさせて」

苦し紛れにそう言った私に、中原は真っ直ぐな目をしたまま「分かった」と頷いた。




あれから早二週間。
流石にそろそろ中原に申し訳ないと思い、覚悟を決めて電話を掛けた。
樋口に。
事情を全て説明する前に凡その状況を察した樋口は、駅前に私を呼びだすとそのまま近くのカフェに連れ込む。私が返事を先延ばしにしたこと、明日で二週間が経とうとしていることなどを聞き、樋口は「はァ!!??」と怒り出した。その後、延々と説教をされぐったりしている私に、樋口が追い打ちをかける。曰く、今すぐ連絡して返事をしろ、と。
勿論、私にそんな覚悟はない。家を出る前にしたのは、樋口に説教をされる覚悟だけである。
いや、でも、ともたつく私に溜め息を吐いた樋口が、自分のスマホで誰かに連絡を取る。…相手が誰かなんて、考えるまでもなかった。

「10分で来るって。じゃ、私は帰るから」

自分の分のお金をテーブルに置いて、樋口が席を立つ。ちょっと待ってと縋る私にすっと目を細め、「ちゃんと返事してやんなよ」とだけ言い残し彼女は本当に帰ってしまった。
まじか。
呆然と、樋口が出て行った店の扉を見ていると、入れ違いかと思うようなタイミングで全身黒のファッションに身を固めた人物が入ってくる。
中原だった。
赤い髪が乱れ、肩で息をしているのが遠目にもわかる。彷徨っていた視線が私を捉えると、彼は迷いない足取りでこちらに向かってきた。

「悪ぃ、待たせた」

一つ息を吐いて呼吸を整えた中原が、私の正面の席に座る。いや、まだ5分も経ってねえよ、という突っ込みを腹の底に留めた私は「私服、いいね」と別の言葉を吐いた。
少々中2病感はあるが、ワインレッドのインナーは秋口の今の時期に合っている。
「そうか?」と少しだけ照れたような反応をした中原は、店員に珈琲を注文したきり、じっと私が話し始めるのを待ってくれる。

「……急にごめん。呼び出しといてアレだけど、未だに、好きとか、よく分かんない。二週間も待たせて、ごめん」
「いい。で?」

短く返された言葉があまりにもそっけなく、そっと顔色を窺う。青い目は、いつも通り真っ直ぐに私を見ていた。どうやら機嫌を損ねているわけではないらしい。

「……樋口に…あんたは素直じゃないんだから、たまには思ってることそのまま口にしてみろって、言われて。だから、今まで思ってたこと、全部言う。ちょっと、長くなるけど…」
「おう」

ちら、と視線を上げると青い瞳と目が合う。それがどこまでも優しい色をしていて、どこか嬉しそうにも見えて、居た堪れなくなった私は再び視線を逸らした。

「……最初は、関わりたくないと思ってた。派手な見た目で、きっと私が嫌いなタイプの人間だと思って。でも、話してみたら意外といいやつで、優しくて。……雨の日に、体育でバスケしてるの見て、純粋に格好いいと思った。赤い髪も、青い目も、慣れれば気にならないし。一緒にいて、楽しかった」

はあ、と一つ息を吐く。
なんかこれ、すごく恥ずかしい。一人で喋ってる所為かな。
でも途中で止めたら、また樋口にドヤされる。また説教されるのはごめんだ。

「……私が死にかけてた日、あったでしょ。保健室に連れてってくれた日」
「ああ」
「あの日本当は、お母さんに、休んだら? って言われてた。でも、休みたくなかった。テスト近いし、とも思ったけど…一瞬だけ、中原のことが頭に浮かんだ。…保健室で寝る前、夢に、中原が出てくればいいって思った」
「………何だよ、それ」
「…やっぱ、変?」

低く呟くような声にそっと顔を上げると、何故か中原は顔を真っ赤にしていた。顔というか、耳まで真っ赤。何故だ。

「…お前…そこまで言っといて好きが分かんねェとか…まじか…」

今日初めて私から逸らされた目が、顔ごと俯けられる。ふう、と溜め息を吐いた彼は照れたように口元を覆いながら、上目遣いに私を見た。…何だか可愛い、とは口に出さずにおく。

「…なら、試し、でいい。俺と付き合え。嫌だと思ったら、すぐに別れる。それならいいだろ」

まだ頬は赤かったが、青い目はまたいつも通り真っ直ぐな視線を向けていた。
…お試し。二週間も待たせた挙句、彼で試す。
何だかすごく申し訳ない気がする。…でもそれよりも。

「……付き合っても、別れても…今まで見たいに、仲良くしてくれる…?」
「……お前がそう望むなら」

私の問いに、中原は少し驚いた顔をして頷いた。やがて、丸くしていた目を細めてふっと笑みを零す。

「え、何で笑ってんの」
「…いや、何でもねェ」

何でもないと言いながらも、彼は笑うのを止めない。何だこいつと私が眉を顰めると、頭をわしゃわしゃと撫でられた。

「お前がそう望んでる間は、俺は離れて行ったりしねェから安心しろ」

ニヤリと笑った彼が、私が自分でも気づいていない感情を見透かしていたのだと、私は未だ知らなかった。


     *     *     *

title by 創作お題bot