問一、世界は何に満ちているのか


*学パロ




存在くらいは知っていた。やたらと目立つ転校生が来たとかで、暫く噂になっていた人。学年が変わり、新しいクラスの名簿を見ると、同じ組に噂の彼の名前があった。だけど、あんな派手な見た目をしている人だもの。どうせパリピ系で、私とは無縁な人だと思っていた。
パリピとは私の中で、苦手とするタイプの人種の一つを指す名称である。無駄にでかい声で騒ぎ、時には授業中だろうと口を閉ざさず、自分たちの都合を最優先する傍迷惑な輩。そんなチンパンジーに近いような猿どもを、オブラートで包んで丸めてついでに侮蔑の意味も込めた呼び名がパリピなのである。
出来れば関わりたくない。
出来なくとも関わりたくない。
…そう、思っていたのだけど。

「中原中也だ。よろしく」
「……どうも…」

新年度の初日、学校に着いて一番に挨拶するのが噂の彼になるとは思わなかった。そしてその尖った外見や態度に似合わず、意外とフレンドリー。
…私の席は一番窓側。噂の彼はその隣。座席は横の列が偶数人、縦の列が奇数人で構成されているため、授業中何らかのペアを組まされる場合は高確率で彼と私がペアになる。パリピの隣か、まじか、誰か代わってくれと最初の頃は全力で願っていたが、彼はそんなにパリピ系ではなかった。
人当たりは良い。少々短気な所はあるが普通に話していれば怒ったりはしないし、意外と気さくで優しい。
授業も真面目に受けている。小テストの採点や授業中に指示された意見交換などで何度も彼の字を見たが、綺麗でとても見やすかった。
勿論、運動も出来る。小柄なのはスポーツにおいてハンデになりがちだが、彼は自分の身長の長所と短所をよく理解していた。雨天時に男女合同で行われた体育の授業がバスケだった。彼の身長では少々つらい所があるのではと眺めていたが、全くそんなことは無く、小柄な体で敵の間をすり抜け驚きの跳躍力でシュートを決めてしまった。しかもレイアップシュート。流れるような動きも、鋭い視線も、まるで小さな肉食獣のようで美しかった。
…そんな、一見非の打ち所がない彼だが、特別親しい友人はいないらしい。確かに人当たりは良いし人懐っこい笑顔で笑うのだが、どんなに楽しそうにしていても誰にも心を開いていない様な、そんな感じがする。
──以上が、隣の席で彼をひと月ほど観察した私の感想である。

「……それだけ?」
「うん」

お弁当を食べながら私の話を聞いていた樋口が首を傾げる。曰く、もっと惚気話はないのか、と。

「何で私が惚れてもいない奴の惚気話をしなきゃなんないの」
「いや、あんたたち付き合ってることになってるから。クラスどころか、学年中の噂」
「冗談でしょ」
「ほんとほんと」
「……うそだ…」

絶句する私を横目に樋口が卵焼きを頬張った。
…いや、何故そんなことになっているのだ。確かに彼とはそこそこ話す間柄ではあるが、それは「お隣さん」としての付き合い以外の何ものでもない。
待ってくれ。誤解だ。
誰に言い訳するでもなく呟く私に、卵焼きを呑み込んだ樋口が「それでしょ」と箸を向けてきた。

「それ?」
「あんた、あんまり男子と話さないから、ちょっとでも仲良さげにしてるとそういう目で見られるんでしょ」
「えぇぇ」

そんなこと言ったって、じゃあどうすればいいのだ。用もないのに他の男子たちとも話せと? 何の話題も持っていないのに? そんな暇があるなら本の続きを読んでいたい。

「…そう言う樋口だって、男子と喋る方じゃないじゃん…」
「私には芥川先輩と言う存在がある」
「いや、胸張って言うことじゃないでしょ。いつも塩対応されてるくせに」
「うっ…」

…けれど確かにそうだ。樋口が同じ部活の芥川とかいう先輩の追っかけをしているのは、それこそ学年どころか全校で有名な話である。正直、その先輩は不憫だと思う。樋口は自業自得だが、先輩まで噂の巻き添えになっているのは完全なとばっちりだ。

「…あ」
「どうかした?」
「いや、その噂、私もだけど中原さんも迷惑だよな、と。樋口の噂思い出してたら気づいた」
「ちょっとそれどういう意味」

眉を顰めこちらを睨む樋口を無視して、お弁当の残りを口に押し込む。
噂のことを伝えて、中原さんに謝らねば。




「あ? んなもンとっくに知ってっけど」
「え」
「つーか、知らなかったのかよ」
「うん」

早く言ってよ。
あっさりした彼の反応に、思わず文句が口をついて出る。
知らなかったのは私だけだろうか。…それはそれでなんか悲しい。

「別に俺は構わねェよ。言いたい奴には言わせておけばいい」
「…慣れてるね」
「ま、こんな見た目してりゃ、色々な」
「なるほど」

確かに彼はモテそうだ。
背は小さいが、体育の時に見たあの肉食獣の様な鋭さは私でも格好いいと思う。
どうやら彼は気にしていないと分かり安堵した。折角仲良くなった(と私は思っている)お隣さんとの関係は、良好なままでありたい。

「そういやお前、部活は?」
「今日サボり。大丈夫、後輩ちゃんたちは優秀だから、私がいなくても上手くやってくれる」
「……お前それ先輩としてどうかと思うぞ…。んじゃ、もう帰んのか」
「うん」
「俺も帰るとこなんだわ」
「ふーん」
「…いや、一緒に帰ろうぜって言ってんだけど」
「え」

鞄に荷物を詰めて席を立とうとすると、腕を掴まれた。昼に聞いた噂のこともあり、面倒くさいと思ったのが顔に出てしまったらしい。私の反応に中原さんが少し傷ついた顔をする。

「…嫌なら、いい」
「……嫌とは言ってない」

何だか捨てられた子犬を見ているような気分になり、彼の誘いを承諾してしまった。別に彼と帰るのが嫌なわけではない。一緒に帰っている姿を見かけた奴らにまた何やかんやと噂されるのが面倒なだけだ。
家はどの辺かと話し合った結果、同じ方向なことが判明した。一緒に帰るとか小学生じみた約束をした手前、帰る方角が全く逆だったら気まずいことこの上ない。
良かった。
帰り道をゆっくり歩きながら雑談をしていた時だった。

「おや、雪ちゃんじゃないか。偶然だね」
「「げぇっ」」

聞き覚えのある声に、嫌悪感を隠そうともせず顔を顰める。何故か隣で中原さんも同じ反応をしていた。彼がここまで嫌そうな顔をするのも珍しい。
一方、声の主はと云うとお馴染みの胡散臭い笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってくる。

「…こっち来んなナルシスト野郎」
「……麻乃、太宰のこと知ってんのか」

普段は出さない領域の声を聞いてか、横にいる中原さんがギョッとした顔で私を見た。

「中原さんこそ、アレを知ってるんだ」
「…まあな」

げんなりした表情を見るに、彼もあのナルシストを好いてはいないらしい。
…太宰治。見た目は確かに綺麗な顔立ちに長身痩躯と女子受けしそうだが、私はこの男が死ぬほど嫌いである。この男は、自分が俗にいうイケメンであると自覚し、それを鼻にかけるような気障ったらしい振る舞いをする。パリピとは別ジャンルで、私の嫌いな種族の一つに該当するタイプだ。学年一位を誇る頭脳も、紳士的な立ち振る舞いも、何もかもがマイナスに働いてしまうくらいには、この男が嫌いである。

「この世から消滅してしまえばいいのに。…というか、一発殴らせろ」
「……お前も相当嫌ってんのだけは分かった」
「雪ちゃん、私に対する扱いがどんどん悪化してないかい…?」

漏れてしまった私の心の声に、若干引き気味な中原さんの向かいで、ナルシストがよよよ…と泣き真似をする。去年散々絡まれて酷い目に遭ったのだ。その程度の泣き真似は苛立ち要素にしかならない。

「麻乃も手前の顔は見たくないらしいぜ? とっとと失せろよ」
「…あ、中也、いたの。小さすぎて見えなかった」
「ンだと手前ッ!」

……意外と彼らは仲がいいのかもしれない。互いに好意を持っている感じはしないが、交わされる罵倒は熟年夫婦のように息が合っている。これはこれで見ていて楽しい。
とはいえこのままでは本当に中原さんがブチ切れてしまうかもしれないので、ここは早めに撤収しよう。

「中原さん、帰ろう。そんなの見てたら気分悪くなっちゃう」
「…だな。行くか」

中原さんの制服の袖を引いて促すと、一つ息を吐いて自分を落ち着けたらしい彼は鞄を肩に掛け直してナルシストから視線を外す。
「またね雪ちゃん」と背後からかけられた声は、聞こえないふりをした。


     *     *     *

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