致死性の愛情表現


「莫迦ですねえ、幹部は」

うふふ、と某包帯男を彷彿とさせる麻乃の笑いに、中原が舌打ちをする。常に薄く張り付いている笑みも、笑っていない目も、不気味なほど先を見通す思考も、直ぐに死にたがる所も、麻乃の全てが昔の相棒に似ていて、中原はうんざりだった。其れもその筈、麻乃は中原の元相棒こと太宰の弟子であり、麻乃が太宰と過ごした時間は芥川より長い。

太宰が慕っていた下級構成員――麻乃は元々あの男に拾われた捨て猫の様なものだった。下っ端の自分の元にいるよりは真面な生活が出来るだろうと、太宰に預けた張本人には一切悪気はない。ただただ純粋な善意で、あの男は拾った猫を太宰に任せてしまった。金銭面はともかく、人として少しでもマシな人格を構築できたのは、間違いなく太宰ではなくあの男の元であった筈なのに。そうして麻乃は太宰の元で教育され、絡まりあった首飾りより面倒な性格になってしまった。

人に悪戯をするのは呼吸に等しく、敵にも味方にも容赦ない。相手の青褪める表情を見て楽しそうに笑う。命令も滅多に聞かない。その癖、口出しは矢鱈としてくる。しかもその、嫌味たっぷりの指摘がぐうの音も出ない程正論で、其の言葉に従って失敗した試しが一度も無いのだから反論も出来ない。

自分の思いを素直に言えない性格の所為で本音はまず伝わらないし、嫌味と悪戯だけは天才的で、我儘も好き嫌いも多い。中原は散々手を焼いた。一番面倒なのは麻乃が死にたがりなことだ。太宰のように川を流れることを日課としたり、変な自殺法を試しては無駄な傷を作ったりはしない。そんな生温いものではない。目立つものでもない。…まず食事を抜く。本当に一切何も口にしない。水分だけは取っている所為か、2,3日だけでは気づかない。徐々に悪くなっていく顔色に、毎日仕事で顔を合わせる中原がようやく気付いた頃には、体重が大幅に落ちていた。焦った中原は一日三食、麻乃の食事をきっちり管理しその胃袋を掴みかけた。麻乃の嫌いなものを出してしまったようで、中原の細やかな企みは結局失敗に終わったが、体重は元に戻せた。すると今度は一睡もしなくなった。麻乃の顔色の悪さと隈に気づいたのは矢張り中原で、慌てて麻乃のコーヒーに睡眠薬を混ぜた。丸二日、麻乃は泥のように眠っていた。拗ねる麻乃に中原はその都度5,6時間に及ぶ説教をしている。何度かそれを繰り返したが、一日の四分の一を説教に費やすのは流石に嫌だったのか、最近は食事も睡眠も摂っているようだ。

但し、自殺癖は治らない。以前、真冬の変な時期に長期休暇を取り「旅行に行く」と言った麻乃を怪しんで、秘かに中原が後を付けたことがある。「出掛けるくらいなら家にいた方がマシ」という麻乃が、降誕祭も正月も疾うに終わった時期に長期休暇など怪しすぎた。…麻乃が向かった先は東北。電車を乗り継ぎ無人のバス停で降りた先、人気のない森の入口へ着いた時、中原の嫌な予感は一気に増幅した。抑も麻乃の服装は真冬の東北を歩くには薄着過ぎたのだ。誰もいない森の中、何か(恐らく睡眠薬の類だろう)を飲んだ後少ない荷物を放り投げ、麻乃が白く染まった地面にダイブした瞬間、中原はやっぱりかと駆け出す。凍死を狙い雪に埋もれていた麻乃を担ぎ、序に投げ出されていた荷物も掴み、周辺で一等の旅館に連れ込んだ。美味しいものを食べさせ温泉で身体を温めさせた。唯の東北旅行になった。

そんな至極面倒な麻乃が太宰の失踪後、何故中原の部下になったのか。理由は簡単、中原が森に進言したからだ。是非麻乃を自分の部下に、と。太宰の女性版のような人間と四六時中過ごすことになった中原の仕事効率は格段に上がった。ストレスは3倍になった。


……任務終わりの帰り道、中原の運転する車は麻乃のマンションの前で停まる。首領への報告は明日することになっていた。

「態々送ってくださらなくてもいいのに…。早く寝ないといつまでも身長伸びませんよ?あ、もう止まってましたか」

車を降りて窓から中原を覗く麻乃の言葉に内心苦笑する。麻乃は本音を滅多に言わない。感謝も口にしない。中原はそんな麻乃と長く過ごすうちに言葉の裏に隠された本音を何となく見抜けるようになった。今の言葉は要するに、中原に早く帰って休めと言っているのだ。

「へいへい。手前も早く寝ろよ。飯は食え。明日青い顔で来ようもんなら、仕事なんかさせねえからな。あと遅刻もすんなよ」
「……幹部は何時から私の母親になったんですか」

鬱陶しそうに顔を顰めた後、冷たい笑顔を浮かべて「では、おやすみなさい」と告げた麻乃は此方に頭を下げて車から一歩引いた。何となく、冷たい笑みに添えられた言葉の本意は知りたくないと思った。麻乃の見送りを受けて、中原は車を発進させた。


中原は久し振りに見るその顔を視界に入れるなり、蛙の潰れた様な声を出した。腹の底に蟠る嫌悪感ごと吐き出すような声だった。隣に立つ麻乃はけろりと挨拶の言葉を述べ、向かいに立つ包帯男もそれに笑顔で答える。

「お久しぶりです太宰さん」
「やあ雪ちゃん。元気?今度一緒に心中しようよ」

芥川と違い麻乃には元上司への執着など無いようだが、表情一つ変えず頭を下げるのも如何なものだろうか。尤も、元上司にして裏切り者、自分を置いて行った挙句敵対組織に就いている師にどんな顔で対面すればいいかなど、中原にもわからないが。
そして太宰は他人の部下に食事に誘うようなノリで心中を持ちかけるな。ぶっ殺すぞ。
中原がそう罵声を浴びせようかという直前、麻乃は一言、声を発する。

「嫌です」

ぴり、と空気を震わせた声は、侮蔑と拒絶、嫌悪すら孕んでいた。先程まで淡々と言葉を交わしていた相手に、突然向けた氷のように鋭い空気。太宰すらも少し目を見開いている。中原は思わず、隣に立つ麻乃を振り返った。そしてその眼光の鋭さに息を呑む。

「私は、好きでもない人間の前で醜態を晒すつもりはありませんから。…それと。いくら太宰さんと云えど私の上司に銃を向けるのは赦しません」

麻乃の言葉に今度は勢いよく太宰を振り向く。食えない笑みを浮かべた包帯男は、その外套の下から黒光りする小さな銃をこちらに向けていた。そんなことにも気づけなかった自分に唖然とする中原の目の高さに、太宰は銃を持ったままゆらりと両手を上げる。トリガー部分を指に引っ掛けひらひらと手を振り攻撃の意思がないことを示すと、麻乃の纏う空気も幾分か和らいだ。

「妬けるなあ。私の下にいた時は、いくら私に銃が向いてもそんな顔しなかったのに」
「あれは貴方が自分で仕向けていたからでしょう」
「私も雪ちゃんの美しい死体が見たいなあ」
「お断りします。……心配も悲しみも、菫青石の瞳が映す表情だけで十分ですから」

ちら、と一瞬だけ此方を見た麻乃が、今まで見たことも無いほど柔らかい表情をしていたのを中原は見逃さなかった。微笑みともとれるような、麻乃の見せた初めての表情に呆気に取られているうちに、二人は会話を終えたのか太宰とは別れた。ただ、別れ際に太宰が向けてきた妬まし気な視線だけが中原の脳裏に焼き付いていた。

「…幹部」
「あ?」
「以前から疑問だったのですが、何故私を部下に?私の性格など、太宰さんがいた頃より分かり切っていたことでしょう。幹部はそんなことも見抜けない莫迦にも、態々ストレスの源を傍に置くほどのドМにも思えないのですが、私の思い違いでしたか?」
「…………好きな奴を傍に置いといて何が悪ぃんだよ」
「は?」
「……」

中原の言葉が予想外だったのか麻乃が勢いよく此方を向く気配がしたが、決して目を合わせたりはしなかった。どんな顔をしていいかも分からなかった。だから普段よりも真面目な顔で何時になく安全運転を心掛けた。意識を逸らさなければ、顔が直ぐに熟れた果実の如く赤くなるのは明らかだった。

「…幹部」
「…んだよ。言っとくが、これに関しては手前にとやかく言われる筋合いねえからな。想う分には勝手だろ」
「いえ、そうではなく。……私と心中しましょう」
「はァ!?」

照れ隠しに照れ隠しを重ね、歪み切ってねじ曲がった性格の、屈折し過ぎた麻乃の言葉の真意は今回ばかりは中原にも届かなかった。


     *     *     *

title by お題bot
ツンデレが書きたかったのに誰もデレなかった。