「…一つ聞きてぇことがある」
「はい」

彼が突然、そう言った。余りにも真剣な目で改まって言うものだから、私も彼の前に正座して見つめ返した。

「…首領とは如何いう関係だ」
「………医師(せんせい)の守備範囲は12歳以下だよ?」
「違ェよ!」

エリスちゃんを可愛がる医師にとって、私は既に対象外…と首を傾げる。すると彼はいつもの数十倍の声と勢いで私の疑問を否定した。噛みつかれそうな勢いである。余程長い時間一人で悩んでいたのかもしれない。先刻の神妙な空気は嵐の前の静けさと云うやつだったのかも。

「抑も、何で首領のこと医師なんて呼び方してんだよ」
「だって、医師は私の師匠だから」
「師匠?」

どうやら彼は医師から何も聞いていないらしい。私はてっきり、全部聞かされたものと思っていたのに。……ならば、何処まで話していいのだろう。医師からは特に口止めをされた訳では無いのだけど、一から話してしまっていいのだろうか。

「…私は、医療に関することは全て、医師から習った。医師がまだマフィアの首領になる前に、私は医師に拾われた」

…彼の目が無言で続きを促す。医師には事後報告して、怒られたらそれはそれでいいや。私はぽつぽつと話し始めた。
…私は孤児だった。物心ついた頃には既に暗殺者としての教育を受け、10歳の頃には当然のように殺しを仕事としていた。私を育てたのは、殺し屋の斡旋をしている小さな企業だった。私が医師に初めて会ったのは12の時、仕事中の姿を偶然医師に見られてしまったのがきっかけ。殺し屋にとってそれはミス以外の何物でもない。殺さなければ…そう思った私に医師は笑顔を向けた。「君、可愛いねえ。歳は幾つ?」……

「…ちょっと待て! そういう目で見られてんじゃねェか!」
「…あの時は何とも言えない寒気を感じた」
「何もされなかっただろうな!?」
「…高い高いはされた」
「はァ?」

…昔から背が低く童顔で、実際よりも幼く見られがちだった。ただ、その年になって──というより、記憶にある限り高い高いなんてされたのはあの一回だけである。年齢を告げると、医師は静かに降ろしてくれた。しかし浮かべた笑顔はそのままに、闇討ちの一部始終を見ていた医師は、私の腕を褒め「一緒においで」と言ってくれた。

「…勝手にいなくなれば裏切り者として処分されることは知ってた。でも、外の世界を見てみたかった」
「…で、見れたのか、外の世界ってのは」
「うん。昔よりずっと楽しい」
「…そうかよ」

ふい、と視線を逸らした彼に「まだ話す?」と聞くと頷いた。何処か悲しそうな彼の目が気になったけれど、追及はせずに続きを話す。
…最初は医師の護衛のようなことをしていた。今も昔もそんなのが必要な人だとは思えないけれど、医師の見せてくれるものはどれも新しくて、楽しかった。仕事の内容は、偶に殺しもしたけれど、差し向けられた暗殺者を返り討ちにするのが主だった。ちなみに、その頃の私は今のエリスちゃんのように毎日ひらひらのワンピースを着せられていた。動きにくい其れは、最初は訓練か何かだと思っていたのだけど、直ぐにただの医師の趣味だと悟った。…ある日。私が異能力者だと医師が気付いた。私は寝耳に水だった。医師は私に異能の特訓をさせた。そうして私が漸く異能を使えるようになってきた頃、医師がマフィアの首領になり、私はマフィアの救護班に入ることになった。…毎日人の命を奪ってきた私が、他人の怪我の治療だなんて、冗句にしたって笑えない。暗殺部隊があると聞いてそっちの方が絶対に役に立てると医師に言った。でも、医師は首を横に振った。「君にはそっちの方が似合うよ」そう言われた。…マフィアという集団に加入することに対して、不安はなかった。但しそれは、私が行ってきた殺しの経験からくるある種の自信によるものだった。なのに、今更、人助けだなんて。勿論、誰彼構わず傷を癒すという訳ではないけれど、それでも。

「あの時の医師の言葉だけは、未だに理解できない」
「…俺は、医務室にいた雪しか知らねえ。けど、あの場に不釣り合いだと思ったことなんざ、一度もねぇよ」
「…でも、」
「…楽しかったんだろ? ならそれでいいじゃねぇか」
「…うん」

私が頷くと満足そうに彼が笑う。すっかり疑問は解消されたらしい。抑も、幼女趣味がアイデンティティのような医師との仲を本気で疑っていたのかは怪しいけれど。
…確かに医療班での仕事は楽しかった。
でも医師の指示があれば私はまた殺しをする心算でいる。それは今も昔も変わらない。彼には言わないけど。
悩みが解消されて心なしかスッキリした顔の彼。何だか面白くない。
湧き出た悪戯心に素直に従い、私は彼の首に抱き着いた。

「おい、雪、」

戸惑ったように彼が私を呼ぶ。彼の困った顔を想像するのは、呼吸をするより簡単だった。
…彼のことは好きだけれど、時々こうして困らせたくなる。何をしても彼が怒らないから、私は其れに甘えているだけなのだけど。

「撫でて、」

すり、と鼻を彼の首に擦り付けて言う。
触れるか触れないかの曖昧さで、彼は私の背にそっと手を添えた。…添えられた手が動く気配はない。

「撫でて撫でて」
「…、」

何か言おうとして、でも何も言えずに微かな吐息を漏らす彼。あくまで撫でることを強請ると、酷くぎこちない動きで背中の手が上下した。
楽しくなってきた私は、彼の耳元に口を寄せる。
──「中也は退屈だろう?」──
ふと、彼の人の言葉を思い出して、私は其れを否定した。
そんなこと、ない。
退屈なんかじゃ、ないもん。

「…我慢なんて、やめちゃえばいいのに」

出来るだけ甘ったるい声で囁いた私は、ぴたりと手を止めた彼の耳に緩く噛み付く。
彼の肩が、大きく跳ねた。



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title by ライリア