お出掛け。お買い物。彼の運転する車に乗って。買うのは私の服と、私のアクセサリーと、彼の靴。其れから食料。買うのは全部彼。服やアクセサリーを選ぶのも彼。私はただ言われた通りに試着してみせるだけ。
彼の選ぶ服は高過ぎて何が良いのかよく分からない。私が自分で買っていた頃の服は、今のより一つか二つ、桁が少なかった。時々どうやって着るのかさえ分からない服もある。
アクセサリーなんて元々興味すらない。ショーケースの中で光を反射する装飾品は、ちらと見ただけでも目眩がする。値段を見ても目眩がする。そして触れるのも恐ろしくなるそれらは、宛がわれる私の首や胸元より、黒い革手袋を嵌めた彼の手元の方がよっぽど輝いて見える。…いたたまれない。
結局、彼は一番大きな紅玉の付いた首飾りを店員に渡した。…値段は知らない。そそくさと逃げるように別のショーケースへ移動すると、青い石の付いた耳飾りに目を奪われた。
「…雪? 何か欲しいモンあったか?」
支払いを終えた彼が寄ってくる。慌てて後ろを振り向き首を振ったが、彼には私が何を見ていたかなんてお見通しらしい。
「何だ、安物じゃねえか」
「…これ、何の石か知ってるの」
観念して彼の隣に並んだ私がそう聞くと、彼は「ああ」と頷いた。
「多分、菫青石だろ」
きんせいせき。…言われても分からない。
私が首を傾げている間に彼は勝手に耳飾りの支払いをしようとしている。
「別に、買わなくても、」
「俺がそうしたいだけだ」
黙って受け取っとけ。
そう言われれば何も言えなくなる。
店員から受け取った耳飾りは包装も何もされておらず、彼はその場で私の髪をかき分け耳に付けた。何時も彼が選ぶ重いのとは違い、華奢で小さな其れは酷く軽い。鏡を覗くと耳元で揺れる菫色。
「…そんなに気に入るなんて珍しいな」
嬉しくなって態とに揺らして遊んでいると、彼にそう言われ我に返った。ちょっと恥ずかしい。
「…ありがとう」
「気に入ったんなら何よりだ」
目を細めて笑った彼はカツリと靴音を響かせて踵を返す。
お店を出たところで私は一つ息を吐いた。
店内の宝石たちはいつも針のように鋭い輝きを私に突き刺してくる。だから外に出ると私は何時もほっとしてしまうのだ。何故彼はあの中で何時も平然としているのだろう。全身黒のその服で、光の針を全て吸収してしまうのだろうか。
疲れた頭で莫迦なことを考えていると、道路の向こうに見覚えのある黒い人がいた。
「…中也さん、」
「ん?」
「あれ、芥川さん?」
「…あ?」
私の指し示す先を見遣った彼が目を細める。
黒と白のモノクロな人。男性にしては少し小柄な──けれど中也さんよりはずっと大きい──芥川さんの隣を、スーツ姿の女性が歩いている。じっと見ていた所為か、彼の格好が目立つ所為か、その女性も此方に気づいたようでぺこりと頭を下げた。…やっぱりあの女の人もマフィアか…。
「あの女の人は芥川さんの部下?」
「ああ。樋口だ」
…樋口さん。遠目からでも分かる美人さんだ。…ちょっとお話したい。忙しいかな。
そわそわと彼と樋口さんを交互に見る。
丁度と云うか何と云うか、芥川さんと樋口さんは道路を渡って此方に歩いてくるところだった。
「…少しだけな」
私の好奇心に気づいた彼がやれやれとため息を吐いて言う。
「お疲れ様です、中原さん。お買い物ですか?」
「まあな」
「こんにちは」
彼にぺこりとお辞儀をする樋口さんは、近くで見ても美人さん。私が挨拶をすると樋口さんは私にも頭を下げてくれた。しかしその目線は不思議そうに彼に戻される。
「…あの、此方の方は…?」
「…中原さんの婚約者だ」
樋口さんの疑問に答えたのは彼ではなく芥川さん。「先日はありがとうございました」と私が頭を下げると、芥川さんは軽く会釈を返してくれる。しかしその目は、芥川さんの返答にぱっと輝いた樋口さんの其れとは違い、至極面倒そうである。
「中原さん、婚約してらしたんですか? おおおおめでとうございます! あ、失礼しました! 私は樋口といいます!!」
「雪です」
樋口さんは勢いよく頭を下げた後、改めて自己紹介をしてくれた。私も名前を告げて手を差し出すと、わたわたと落ち着きのない動作で握手をしてくれる。…可愛い。そしていい匂いがする。
「こんな美人な部下さんがいるなんて羨ましいです」
「びび美人だなんてそんな!」
ぱたぱたと顔の前で両手を振る樋口さん。一方、部下を褒められても反応一つ返さない芥川さんはげんなりした顔をしている。若しかしてと後ろを振り向くと、彼も同じような顔で待っていた。女子特有のテンションに付いていけない二人の目は、宛らチベットスナギツネのよう。…仕方ないからそろそろお暇しよう。
「引き止めてごめんなさい。お仕事中ですよね」
「あ、いえ、少し買い物に来ていただけですから」
樋口さんが持っていた紙袋を揺らす。
よく見ると其れは可愛らしいキャラクターが描かれていて、明らかに子供向けのお店のものだった。
「…もしかして、エリスちゃんに?」
「…エリス嬢をご存じなんですか…?」
「あ。」
「雪、もういいだろ。引き止めて悪かったな芥川」
口が滑った。そう思うのと彼が私の手を引くのはほぼ同時だった。
きょとんとする樋口さんに背を向け、彼は私の手を引いてその場を後にする。チッと舌打ちをする彼は酷く不機嫌そうだけれど、私は革手袋越しの彼の体温が嬉しかった。彼が斯うして私に触れることはあまりない。
「…怒ってる?」
眉間に皺を寄せて無言のまま歩き続ける彼の顔を覗き込むと、ちらと私に視線を遣った彼はため息を吐いて立ち止まった。…手は相変わらず彼の体温で温かい。
彼の顔から不機嫌さが消え、代わりに愁いを帯びた視線が地面に落とされる。
「…俺が前に言ったこと覚えてるか」
「…“約束”のこと?」
「ああ」
私が彼と共に過ごすと決めた日。彼は私に一つ約束をさせた。殆ど彼が頼み込むように言ったこと。
「…この間は確かに芥川に頼む羽目なったが…あの時はああするしか無かっただけだ」
「うん。ごめんなさい」
私がそう言うと、彼は困ったような、安心したような、微妙な顔ではにかんだ。
私と彼の“約束”。二度とマフィアと関わらないこと。
* * *
title by コペンハーゲンの庭で