医師(せんせい)が襲われた。一命は取り留めたけれど、今も意識不明のまま。

「糞ったれ。2日だと?」

敵から届いた手紙を、中也さんがぐしゃりと握りつぶす。紅葉さんと話している彼はとても険しい顔をしていて、話しかけられそうになかった。
…彼は、2日、と言った。
いくらポートマフィアが大きな組織でも、2日で異能者を見つけるのは難しい。でも、探偵社が社長を素直に差し出すとも思えない。敵の狙い通り、お互いに潰しあうしかない。簡単に制圧できる相手ならそれでもいいけれど、そうじゃないことは知っている。

「…医師…」

見張りの人が何人もいたけれど、いつも執務室の前に立っている人たちが、私を医師の部屋に通してくれた。

「…医師…死んじゃうの…?」

起きて、私の話を聞いてほしい。
このままじゃ、中也さんが探偵社に戦争を吹っ掛けてしまう。
彼が怪我をするのは嫌だ。
この状況を変えられる案はある。でも最終決定は医師でなければならない。

「……雪ちゃん…?」
「! 医師、」

うっすらと開かれた目に驚いた。
見張りの人たちがざわついたけれど、そんなものに構っている暇はない。医師の両の目がしっかり私を捉えているのを見て、一気に話した。

「医師、時間が無いの。2日。2日後には死んじゃうの。それまでに何方かを殺せばもう一方は助かるって。若しかしたら中也さんはもう探偵社に行っちゃったかもしれない。選んで。医師だけを助けるか、探偵社の人も助けるか」
「…気をつけて、行っておいで」

医師は私の考えを最初から見抜いているようだった。
うっすらと笑みを浮かべて、小さな声でゆっくり言葉を紡ぐ。
無言で頷いて、医師の頭に手を置いた。

「──異能力!」

私の異能が発動したのを確認した医師は、また眠ってしまった。
医師の部屋を飛び出して、中也さんの執務室に向かう。けれど彼の姿は何処にもなかった。残っていた部下の人に聞くと、彼は黒蜥蜴を連れて探偵社に向かったという。
…遅かった。
彼の人の連絡先を知っているのは、中也さんか、広津さんくらいしか心当たりがなかったのに。
どうしようかと逡巡していると、黒蜥蜴が探偵社の社員を一人捕えてきたと報せが入った。

「その人は今どこに!?」

思わず部下の人に掴みかかり、告げられた部屋へ向かう。
長い廊下を走って辿り着いた部屋では、一人の青年が椅子に拘束された状態で広津さん達三人に囲まれていた。
勢いよく扉を開け入ってきた私に、室内の四人全員が少しだけ驚いた顔をする。

「…麻乃さん、どうしました」

広津さんが、静かに言った。
静かに、でも、ピリピリとした殺気を纏ったまま。

「…待って…ください。私の、話を聞いて…。これは、医師の、決定です」

乱れた呼吸を整える余裕すらないまま、告げる。私の発した医師、という言葉に黒蜥蜴の三人が顔色を変えた。

「…首領は何と?」

首領という言葉に、今度は探偵社の青年が表情を強張らせる。

「…2日という期限を延ばします。私を、探偵社の社長の元へ連れて行ってください」
「!?」
「そんなの、信じるわけないだろ!」

広津さんが驚いた顔をする一方で、椅子に縛られた青年が吠える。中也さんは以前、探偵社は合法組織と云っていたけれど、目の前の青年から放たれる殺気はとても表社会の人間のものとは思えなかった。

「…なら、太宰さんを呼んでください。彼の人なら、私の言っていることが分かるはずです」

一筋縄ではいかないことは分かっていた。マフィアの人間である私が、探偵の社長に会わせろと言っても、相手にされないのは当たり前だ。だから仲介役として、太宰さんを呼びたかったのだ。普段は死んでも会いたくないけれど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。

「…太宰さんは銃で撃たれて、今は手術中だ」
「そんな!」

この役立たず。
心の中で包帯男を罵る。
入ってきたのと同じように勢いよく扉を開けて、部屋を出た。
時間がない。いっそ、探偵社の社長の元へ一人で向かった方が早いのだろうか。でも、何処に?
医師の部屋に戻って、心当たりがないか聞いてみることにした。
見張りの人たちが黙って私を部屋へ通してくれる。薄暗い室内に足を踏み入れて数歩、部屋の外がざわつき始めていた。
…侵入者…?
部屋の出入り口からは死角になる位置に素早く身を隠す。
数秒の後、部屋に入ってきたのは先刻の青年だった。
青年は小さなナイフを片手に医師の寝台へ歩み寄っていく。その姿はまるで、王子に短剣を刺そうと忍び込んだ人魚姫のようだった。けれど、青年は人魚姫じゃないし、医師は王子様でもない。あの短剣は、躊躇なく医師に振り下ろされるだろう。
…それは赦さない。
医師の意志だ。探偵社の社長は助ける。けれど、医師を殺そうとするのなら、あの青年は生かしてはおけない。内衣嚢のナイフをそっと取り出して、構えた。
けれど、私より先に青年の胸を貫く刃が出現した。

「赦せ、童」

…紅葉さんだった。
出て行っては逆に『金色夜叉』の邪魔になるかもしれないと判断し、その場で様子を窺う。紅葉さんが青年に止めを刺しかけたその時、一人の少女が天井裏から降りてきた。その背後に、『金色夜叉』によく似た夜叉の姿がある。
少女は素早く青年を抱えると、壁に穴をあけて逃げて行った。部下の人たちが少女の落下傘目がけて乱射する銃を、紅葉さんが止める。

「…紅葉さん、」
「雪! お主、何時からそこに…」
「あの青年が来るより先に部屋に入ってたんです。…今の女の子が、紅葉さんの大事な人ですか?」

背後に立った私に目を見開いた紅葉さんは、小さくなっていく落下傘を見つめながら複雑そうな顔をする。

「…私を軽蔑するか、雪。私情に流され、首領を殺そうとした侵入者を逃がすような幹部など」
「いいえ。私にも、大事な人はいますから。…紅葉さん。ちょっとだけ、協力してくれませんか」
「…何か、考えがあるのじゃな?」

神妙な面持ちで問う紅葉さんに、ゆっくり頷いた。



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title by 誰花

夢主の異能の説明は次の話に出てきます。