女を犯した。見たことねぇ面だから、酔った勢いで適当に引っ掛けてきた女なのだろう。
……そう思えたら、どんなに楽か。自分の寝台の上で死んだように眠るそいつは、俺のよく知る奴だった。
ずっと好きだった、想い人。
何故こんな事になったのかは今一つ記憶がはっきりしない。ただ、犯している最中のことはしっかりと覚えている。乱暴に体を貪る俺の下で、最初は拒絶するように叫んでいた声は、やがて懇願するようなすすり泣きに変わり、終いには声は疎か身体も動かなくなった。そしてその全てに俺が酷く興奮していたことまで、やけに鮮明に思い出せる。
…最悪だった。
昨夜の快楽と昂りはどこへやら、今の俺に残っているのは圧し潰されそうな罪悪感と、二日酔の頭痛だけだった。
自責の念と後悔だけが空回りしうまく働かない頭のままシャワーを浴びる。起きる気配のない彼女には、身体を清め服を着せた。腹が減ったら食えるようにと雑炊は作ったくせに、足腰が立たないであろう彼女が調理場まで来れる筈がないということには考えが及ばなかった。いつもと変わらない時間に家を出たつもりが、本部に着くなり部下に文句を言われ時計を見ると一時間近く遅刻していて唖然とした。書類は誤字だらけ。任務では力加減を間違え、生け捕りの予定を皆殺しにしてしまう。ミスを連発する俺に、首領や姐さんは「早く帰って休め」と言い渡した。
…つまり俺は、朝の動揺を一日中引き摺っていた。

「やあ中也。今日は絶好調らしいじゃないか。こんな事なら昼間の任務、私も行けばよかったと後悔しているんだ」
「…あんな簡単な任務、俺一人で十分だ。手前の出る幕なんざねぇよ」
「へえ…その“簡単な任務”とやらを失敗したのは何処の誰だっけ?」

ニヤニヤと腹の立つ顔で人の机に肘をつく太宰の目的は分かっている。失敗ばかりの俺を揶揄いに来たのだ。
今此奴のペースに乗せられれば口を滑らせ余計な事を云いかねないと判断し、手早く荷物を纏めた俺は太宰の横をすり抜ける。

「…言ってろ、包帯野郎。俺は帰る」
「あ、そう。それはそうと中也、雪ちゃんを知らないかい?」
「……は…、」

ドアノブに手を伸ばした俺は思わず足を止めた。背後で太宰がニヤリと笑ったような気がして、背筋に冷たい汗が流れる。

「知っているだろう? 救護班の麻乃雪ちゃん。私は何時も彼女に包帯を巻いてもらうのだけどね、今日は来ていないらしいんだ。真面目な彼女が無断欠勤なんて珍しいと、救護班の人も首を傾げていたよ。私は彼女に何かあったんじゃないかと、心配で心配で……」

…眩暈がした。自分の馬鹿さに反吐が出る。勤め先に何の連絡もせずに休めば、怪しまれるのは当然のことだ。
ただ、今日一日ずっと正常に働いていない俺の頭がそんなことに気づけるはずはなかった。

「…中也? 君、本当に大丈夫かい? 顔色が悪いようだけれど…」
「煩ぇ」

それだけ吐き捨てるように言い残し、俺は本部を後にする。未だに頭は太宰の言葉による衝撃の余韻が残っていたが、何よりも今は彼奴から離れられたことに安堵していた。幸い、気づかれてはいなかったらしい。
車を飛ばしマンションに戻ると、部屋は真っ暗だった。既に日は沈んだ宵の刻。西の空はまだ幽かに明るいものの、照明が無ければ自分の足元すら見えにくい。照明は付いていないが、人の気配はあった。
…まだ寝てんのか…?
リビングの照明を付け、寝室のドアへ進む。

「! …、」

そっと開けた扉の向こうから息を呑む気配がして、暗闇の奥でそいつが身じろぎしたのが分かった。

「…俺が怖いか?」

何を聞いているんだと思う。あんなことをしたのに、怖がられないはずがない。むしろ、未だ此処にいたことに驚いてすらいる。とっくに帰っていても可笑しくはないと思っていた。

「…っけほ、」
「! …水、持ってくる」

何かを話そうとしたのか、言葉を詰まらせ咳き込むそいつに慌てて背を向けると、背後でベタッという音がした。振り返ると寝台の上の人影が消え、床にそいつが蹲っている。
…何かに慌てて落ちたらしい。

「…大丈夫か…?」

苦笑気味に漏れる笑みを抑え屈んだ俺の服を掴み、何かを訴えるように見つめてきた。

「…っ、…で」
「あ?」
「…行か、ないで……くださ…」
「! ……俺がお前に何したか分かってんだろ。怒ってねえのかよ」
「……好き…だから。怖かったですけど……でも、」

そいつが言い終わる前に抱き締めた。身体は強張ったが、拒絶はされなかった。
…いっそ嫌われてでもこいつを此処に閉じ込めてしまおうかとすら思った。この機を逃せば、こいつは永遠に手に入らなくなる、と。
だが違った。

「…悪かった…もう二度と、こんな手荒な真似はしねぇ。だから…頼む、俺にもう一度、機会をくれ」

調子がいいとは自分でも思う。けど、こんな状況で「好き」なんて言われれば、調子に乗ってしまう。
俺の後ろめたさと迷いを否定するかのように、背中にそっと腕が回された。

「…雪、」

髪を掬って口づけを落とすと、そいつは少し照れたように微笑んだ。


     *     *     *

title by コペンハーゲンの庭で