マフィア本部のビルのフロントにて、先日の犠牲となった人たちの死体の検分が行われていた。被害総数を医師(せんせい)に問われ答える彼は、矢張り何処か悲しそうに見える。
…私は何とも思わないのに。

「首領として、先代に面目が立たないねえ」

苦笑して緩く首を振った医師の背後で自動ドアが開き、見覚えのあるシルエットが入ってきた。

「…紅葉さん、」
「おや、紅葉君!」

傘を畳みながら歩いてくる紅葉さんが、懐から一つの封筒を取り出す。
探偵社からお茶会の誘いだと言う紅葉さんから手紙を受け取り、医師がニッと笑った。

「…時に中也。雪に斯様なものを見せるとは何事じゃ」

紅葉さんが死体袋の列を見て顔を顰める。鋭い視線を向けられた彼が、表情を強張らせた。

「私が来たいって言ったんです。医師も許可してくれて、」
「…ほう?」

私が慌てて言うと、紅葉さんの視線は医師へと突き刺さる。
ぎくりと肩を揺らした医師は、紅葉さんの視線から逃れるように私を向いて笑みを浮かべた。

「…雪ちゃん、探偵社とお茶会だって。一緒に行くかい? きっと太宰君もいるよ」

…医師の言葉にぴくりと彼が反応する。しかし、眉間に皺を寄せたのは彼だけではない。

「…何で、私が太宰さんに会いに行かなきゃいけないの? 私、太宰さん嫌い。彼の人、怖い。何で中也さんも医師も分かってくれないの!?」

むすっと膨れると、医師と彼がおろおろと慌てる。
──表情のない冷たい目。張り付いた笑み。彼の人は毎日のように私に会いに来たけれど、私はずっと彼の人が怖かった。感情が未だよく分からなかった頃、私は彼の人によって初めて明確な恐怖を齎された。手が冷え切って、呼吸の一つ一つが苦しかった。彼の人の全てが怖くて仕方なかった。彼が、彼の人と偶然居合わせ、幼稚な言い合いを繰り広げるまでは。

「ああぁ雪ちゃん、ごめんよぅ。そんなに怒らないで…」
「雪、もう二度と太宰のことは…」
「おお雪、可哀相に。乙女心の分からぬ阿呆共と居ては気苦労も多かろうて。どれ、私の部屋で茶でも飲むかえ?」

情けない顔の二人を遮って、紅葉さんが私の手を取る。疑問形な言葉とは裏腹に背を押して促され、戸惑いながら彼を見た。

「迎えに行く。姐さんに遊んでもらえ」
「…うん」

彼に頭を撫でられ首を縦に振ると、促されるままに歩く。
医師と彼の姿が見えなくなると、紅葉さんは私の背中に添えていた手を離し隣に並んだ。

「…中也を許してやってくれ雪。太宰が本気になって惚れなかった女子は居らなんだ故。彼奴が足繁く通っていたとなれば、そなたも虜の一人と思い違いをしていても致し方ない」
「…紅葉さんも、そう思ってたんですか…?」
「否。だが男に乙女心は分かるまいて。耳飾りにも気づかぬのは、ちと呆れるがの」
「!?」

何故紅葉さんが耳飾りのことを。
驚いて勢いよく紅葉さんを振り向く。しかし口元を袖で隠して笑う紅葉さんは、誰から其の話を聞いたのかを言う気はないらしい。
…其れも此れも、彼が派手に扉を破壊などするから噂になるのだ。せめて、変な尾鰭が付いていなければいいけれど…。

「──…中也さんが悪いんだよ。扉壊したりするから」

数刻後。紅葉さんの部屋に迎えに来た彼と共に彼の執務室に戻ってきた。私が口を尖らせると、「何のことだ」と彼が片眉を上げる。

「耳飾りのこと、紅葉さん知ってた。唯でさえ大人数の黒蜥蜴に見られていたのに、噂まで広まっているのかと思うと…」

…いたたまれない。地中奥深くに埋まりたい。

「いいじゃねえか。雪が俺のモンだってことが広まれば、誰も手ぇ出そうなんざ思わねェだろ」
「……」

反省するどころか満足そうな顔をする彼を睨みつけるも何処吹く風。
私と話すだけで殺気を向けられることすらあるというのに、今更手を出そうとする命知らずなんかいない。仮にいるなら見てみたい。きっと絶滅危惧種より珍しい。というか、本当に絶滅させられそうだ。彼の手で。

「…本当、なんだよな」

するりと私の耳飾りに触れて彼が言う。
未だ疑っているのだろうか此の人は。
文句の一つでも言ってやろうと横を向くと、彼は酷く優しい目をしていた。

「…好きでもない人に、キスを強請ったりしないよ」

好きでもない人と、四年以上も一緒に住んだりもしない。抑も、彼と一緒にいると決めたのは私なのだ。確かに、軟禁するような真似をしたのは彼だけど、本当に嫌ならとっくに逃げ出している。殺し屋業者から裏切り者として扱われることになってでも得た自由を天秤にかけ、この人と共に過ごすことを選んだのは、紛れもない私。

「…ああ、分かってる」

口の端を上げて笑った彼が、私の頬に手を添える。
──キス、される。
彼の親指がゆっくりと私の唇をなぞり、そう思った。
しかし。

「失礼します。中原幹部、首領がお呼びです」
「…チッ」

ノックの後に入ってきた部下に、彼が盛大な舌打ちをする。
…医師、もう帰って来たのかな。
彼の手が離れてしまったことを少々残念に感じながら、紅葉さんが持ってきた封筒を思い出す。

「…いい子にしてろよ」

渋々と云った風に立ち上がった彼。舌打ちに怯えた表情をしていた部下さんは、早々に立ち去っている。
今度こそと云わんばかりに、彼が私にキスをした。


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title by ライリア