「いいか雪、絶対外には出るな。絶対だ」
「…それ医師(せんせい)も云ってた」
「何が詛いの原因か判明してねえ。出来るだけ部屋の中にいろ」
「…それも聞いた」
「此処まで侵入してくることは無ェと思うが、万が一襲ってくる奴が居たら──」
「殺します大丈夫です全部医師に云われましたはい」

早口に浴びせられる彼の注意事項。何が起こっているのか詳しくは分からないが、窓から覗く遥か下の道路には、ゾンビのような動き方をして人を襲っている人達が沢山いる。気分はバイ●ハザードだ。
…多分、かなりの緊急事態なのだろう。彼が私に武器の携帯を許すなんて、天変地異が起こってもあり得ないと思っていた。
そして、武器を持つことを許可されても尚、外に出ることが出来ないのは少々不服だ。先刻廊下で会った樋口さんは、外で彼と一緒に仕事をするというのに。

「帰ってきたら、怪我の確認してあげるね」

精一杯の嫌味を込めて、彼に笑顔で言う。…否、言った、つもりだ。

「…おう。気が済むまで確認させてやるよ」

ニッと笑った彼に、嫌味は通用しなかった。それどころか、驚く私の額にキスさえしてみせた彼は、優雅な足取りで部屋を出ていく。
…キスは嬉しい。純粋に。彼は私の耳飾りの意味を知って以来、自ら私に触れてくれるようになった。嬉しい。嬉しいのだけど……何だか、すこし、

「…つまんない…」

パタリと閉まったドアを見つめて呟く。転がっていたテディベアを拾ってソファに身体を沈めた。テディベアと自分の身体の間に違和感を覚え、ナイフを内ポケットに入れていたことを思い出す。…昔使っていたのと同じものを、医師が態々探してくれたのだ。使い慣れている物の方がいいだろう、と。銃に関しても同様だ。女子供でも扱える、軽くて小さい銃。10に満たない頃から私が握らされていたのと同じもの…。
まあ、マフィアの首領ともなればこんなのを探すことくらい如何と云うことも無いだろうけど。
ポケットからナイフを出し、ソファにぽいと放る。…不満なのは、これら武器が自衛にしか使えないことだ。別に、ドンパチがやりたい訳じゃない。樋口さんに嫉妬しているわけでもない。彼じゃあるまいし、私は殺し屋だ。戦闘は基本専門外。でも。だけど。折角黒蜥蜴に訓練を付き合ってもらったのに。──せめて、彼を守れる距離に居たい。守る、なんて不遜だろうか。五大幹部の一人を相手に。ポートマフィア1の体術使いに。…不遜でも、力不足でも、何でもいいと思う。ただ結果を待つしかないなんて、嫌なのだ。

「…雪、」
「! 中也さん、お帰りなさい…?」
「…詛いが突然消えた。恐らく、太宰の野郎の仕業だ」

戻ってきた彼は酷く沈んだ面持ちだった。
疲れてる…?
否でも其れだけのようには思えない。少しは安堵の表情が見えても良い筈なのに。

「…中也さん…?」
「……部下が何人も死んだ。…未だ後処理があるから戻る。…此処に居ろよ」

数刻前にそうしたのと同じように、私の額に軽く唇で触れて、彼が部屋を出ていく。
但し、数刻前とは違い其の背中には哀愁が漂っていた。

「──私は、中也さんとは根本的に何かが違うと思うの。若し私に部下がいたとしても、きっと私はあんな風に死を悲しめない」

落ち着かなくて、せめてエリスちゃんと遊ぼうと思って医師の執務室に行った。此れだけ頻繁に行き来していれば見張りの人達も顔を覚えたのか、最早顔パス同然である。不在と思っていた変態中年はしかし在室で、しかも珍しいことに真面目な顔で仕事をしていた。
エリスちゃんは丁度ティータイムで、勧められるままに私は彼女の向かいの席に着く。紅茶片手に、「何か用かい?」と片眉を上げた医師に彼の話をした。彼が酷く悲しそうだったこと。私は彼に怪我が無くて安心したこと。そして、私はきっと彼のように他者の死を悲しめないと思ったこと。

「…雪ちゃん、前にも言った筈だよ。感情は人それぞれ、君と中也君が違ってて当然なんだ。悩む事じゃない」
「…でも、正解は無くても不正解はある。でしょう?」
「うーん…まあ、ねえ。だけど、今の君の感情が不正解な訳じゃない。抑も君がそんな悩みを持つこと自体、私はとても驚いているよ。初めて会った時に比べれば、随分成長したじゃないか」

…医師と初めて会った頃。私は何も知らなかった。「嬉しい」も、「寂しい」も、「悲しい」も──「好き」も。
殆どは彼がくれた。一つだけ、彼の人から与えられたものがあるけれど。でも、未だ、完全じゃない。

「…不満そうだね」

紅茶に砂糖とミルクを入れてぐるぐる混ぜていると、医師は見透かしたように言った。

「なら、雪ちゃんが死んで悲しいと思う人は? 中也君だけかい?」
「………紅葉さん。樋口さんと芥川さん。広津さん、立原さん、銀さん」

指折り数えて名前を挙げると、医師がにっこり笑う。

「沢山居るじゃないか。大丈夫、君はちゃんと心を持ってるよ。中也君と同じようにね。彼は君より関わっている人が多いだけだよ」
「…それと、医師」
「うん?」
「…医師も、死んだら悲しい」

ミルクティーになった紅茶にふうっと息を吹きかけて言うと、医師は暫し目を瞬いてから再び笑みを浮かべた。

「…ありがとう。さて、そろそろ帰らないと中也君が心配するよ」
「……何で、」

何で、医師がお礼を言うの。
そう言おうとしたけれど、言葉は背後で勢いよく開いた扉に遮られた。
見張りの人達が止めようとするのを医師が片手で制すと、彼がつかつかと入ってくる。

「…ほらね?」

医師が楽しげに笑った。
足早に近づいてくる彼の眉間に刻まれている、深い皺。

「…部屋に居ろって言っただろ。勝手に居なくなるんじゃねえ。心配しただろうが」
「…ごめんなさい」
「丁度帰るところだったんだよね、雪ちゃん。お迎えも来たし、お帰り」

宥める医師に頭を下げて、彼が私の手を引く。革手袋越しの体温は、いつかの日と同じように温かい。振り返ると、閉じかけた扉の奥で医師とエリスちゃんが手を振っていた。


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title by ライリア