「……キティ…キティっ!」

チシヤの動きを読んだ少女は素早く立ち上がり、チシヤを突き飛ばしてウサギの前に立ちはだかった。その直後、ニラギの放った銃弾が少女の左胸に命中。少女の小さな身体は人形のように吹き飛んだ。
コンマ数秒の出来事だった。
チシヤが慌てて駆け寄ると、少女は咳を一つしたあと痛そうに顔を歪める。

「……チェシャ…」
「喋らないで。左胸に弾が入ってる……心臓に届いているかもしれない」

傷口を圧迫しながらも冷静さを保とうとするチシヤだが、その焦りは表情に出ていた。
チシヤの背後に立つアリスとウサギは、小さな少女が銃弾の犠牲になったことに胸を痛めている。

「……勘違い、しないで…。私は、チェシャを…守りたかった、だけ…」

二人の思考を読んだかのように少女は言い、胸を圧迫し続けるチシヤの手を掴んだ。

「…チェシャ……もう、いい…痛いよ…。もう、助からない。お医者さんなら…分かるでしょ…?……私は…このために、あなたのそばに…いたの…」
「オレは…医者じゃない……まだ学生だよ…」

チシヤは力なく笑う。その言葉は、今まで多くの人間を愚弄してきたとは思えないほど間抜けだった。

「…チェシャ、私ね……チェシャが、私のこと…嫌いなの、知ってたよ…。…それで、よかった……でないと、チェシャに……利用して…もらえないから…。…チェシャ…好き……あなたは、初めて……私を、必要と…して、くれた…人…」
「…もういい。もう、分ったから……もういいよ、アリス」
「……アリス…?」

少女はチシヤの頬に手を添え微笑むが、チシヤは眉間の皺を深くし首を振る。
ウサギはチシヤの発した言葉に小さく首を傾げた。

「…キティの本名は…黒澤亜璃珠…。…君は…家でも学校でも、いじめに遭っていたんだね…。自分の何もかもを否定されていた…だからオレみたいな奴にずっと付き従っていたんだろ?」

少女は肯定も否定もせず、ただ静かに微笑む。その表情は穏やかで、どこか満足そうだった。

「…君は一つだけ、間違ってる。確かにオレは、自ら利用されることを望む君が、疎ましかった。でも…一緒に過ごすうちにきっと愛着が湧いたんだと思う…隣にいるのが当たり前で、使い捨ての駒にしようとは思わなくなっていた。…アリス…今まで、こんな感情は知らなかったのに…今になって初めて、他人の死をとても恐ろしく思うよ…」

チシヤがゆっくりと言葉を紡ぐうち、少女は浮かべていた笑みを消し泣き始める。

「…チェシャ…そんなの…だめ……やだ…泣か、ないで…」

少女は自分がチシヤに嫌われていると思っていた。だから何の躊躇もなく自分を犠牲にできた。しかし、チシヤが少女の死を恐れていると知った今になって、少女自身も“死にたくない”と思い始めてしまった。
しかし、そんな少女の意思とは反対に、少女の身体はゆっくりとその機能を弱めていく。

「……迎えに行くよ。待ってて、アリス…」

視界も徐々に暗くなりゆっくりと体の感覚を失っていく中、少女はチシヤの声を聞いた気がした。


     *


少女の視界に最初に映ったのは、自分の部屋の見慣れた天井だった。
自分の体に傷は見当たらず、部屋の中には塵一つ落ちていない。

「……ゆ…め…?」

自分の部屋を見たのはとても久し振りな気がするが、少女はそれを嬉しいとは思わなかった。
…チシヤの言っていたことは、本当は少しだけ違う。学校では確かに虐めに遭っていたが、家では両親と会うことすらなかった。少女は、黒澤グループの会長の一人娘であり、少女の両親は常に世界中を飛び回っている。少女の住む大きな邸宅には何十人も使用人がいるが、みな忙しそうに広い邸宅内を歩き回り、少女の話し相手となるような人物はいない。
少女はいつも、一人だった。
学校では虐めに遭い、家ではひたすら孤独に耐える。そんな毎日を送る少女はいつしか、「自分はいなくてもいい存在なのではないか」と思うようになっていた。けれどあの日…少女が「今際の国」へ入国したあの日だけは少し違う。少女は、心の片隅で思ってしまった。「自分以外の全員がいなくなってしまえばいいのに」と。

「………また、一人ぼっち…。あのまま、死んじゃえばよかったのに…」

「今際の国」で感じた“死にたくない”という思いは、少女の中に残ってはいなかった。少女を子猫と呼び傍にいてくれた青年はここにはいない。
少女は使用人たちの目を盗み、日が沈む寸前の夕暮れの中へ飛び出した。
広い庭を抜け、高級住宅街を通り、少女は街の中をどこへともなく歩き続ける。夕食の時間になって少女が邸内にいないと分かれば、使用人たちは大騒ぎをするだろう。もしかすると、大人数の警察が街の中を走り回ることになるかもしれない。それでも少女は、帰ろうとは思わなかった。

「…こんな時間に一人で歩き回ってると、悪い人に攫われちゃうよ、キティ」
「!………チェ…シャ…?」

聞き覚えのある声に振り向くと、少女は目の前に立つ人物に目を見開く。
もう会えないと思っていた。あの国での全てが、自分の作り出した妄想かもしれないとすら思い始めていた。
しかし今、少女が守ろうとしていた青年はあの国で見たのと同じように、パーカーのフードを被りポケットに手を入れ挑発的な薄笑いを浮かべている。

「……チェシャ…本当に、チェシャ…?」
「…迎えに行くって、言ったじゃん。…この国屈指の大企業の一人娘…居場所を見つけるのなんて、わけないよね♪…問題は、どうやって連れ出すか…と思ってたんだけど、なんで君はこんな時間に一人で歩き回ってるの?」
「………チェシャ…もしかして、怒ってる…?」
「当然じゃん♪」

今まで見たことのない、チシヤの怒り。表情は薄笑いのままであるのに、その背が放つオーラは逃げ出したくなるほど怖い。確かに一人で街をうろついていた少女に非があるのだが、それを差し引いても笑みのままドスの利いた声を出すチシヤは怖すぎる。

「子供が一人で歩き回っていい時間じゃないよね。送ってあげるから、早く帰りなよ。でないと、本当に誘拐するよ」
「……いいよ。私を攫って、チェシャ。…私を見てくれるの、あなただけだから…」
「!………でも、このまま君を連れて行っても、誘拐として騒ぎになるだけだよね」
「…うん。……手紙を書こうと思うの。いなくなったのが…私の意思だと、分かるように。…探したら死んでやる…って、書くの」

無表情のまま少女が発した言葉に、チシヤは思わず吹き出した。少女は首を傾げるが、チシヤは何も言わずに笑う。
…その日の夜、少女が消え騒然とする黒澤邸に一通の手紙が届けられた。
それきり、少女を知っている者は誰一人、その姿を見ていない。


   *   *   *

Lead…導く、繋がる。
Ifその2。