「だいやのきんぐ」の対戦後ずっと上の空のチシヤを、少女は心配そうに見つめながら歩いていた。
安物の傘は強風に耐えられず壊れてしまい、少女はチシヤの足が視界に入る距離を保ちながら目を伏せ歩き続ける。

「……?」

急にぴたりと足を止めたチシヤを不思議に思い少女が顔を上げると、チシヤの視線の先にはアリスがいた。

「……やぁ。」

微笑むチシヤとは対照的に、アリスは大きく目を見開いている。少女は、その目に光が灯っていないことに気付いた。チシヤは、そんなアリスを特に気にすることもなく、自分の話を聞いて欲しいと言う。

「…………オレは――」
   ダァン…

何かを言いかけたチシヤの口は、その続きを紡がなかった。

「チシ…ヤ…!?」
「……チェ、シャ……?」

少女もアリスも、目の前の状況に頭が付いていかず、ただ茫然と倒れたチシヤを見つめる。その背後から、ライフルを携えたニラギが現れた。
アリスは銃弾を躱し車の陰に身を隠すが、少女はライフルなど気にも留めずチシヤに駆け寄る。

「…チェシャ…チェシャ!」
「…あ?邪魔だガキ。退け」
「おい、逃げろ!」

ニラギは少女に銃口を向けアリスは大声で叫ぶが、少女は怯む素振りも見せずニラギを睨みつけた。

「…殺すなら殺せ!死なんか怖くないっ」
「………だめだよ、キティ…」
「!……チェシャ…?」

チシヤを庇うように抱えていた少女は、聞き慣れた声に息を呑む。
チシヤは撃たれた肩を庇いながら少女の手を引き、アリスと同じように車の陰へ身を潜めた。
ぼたぼたと血を吐きながら笑うニラギは、殺し合いがしたいと言う。チシヤが動けると分かり落ち着きを取り戻した少女は、大人しくチシヤの隣で撃ち合いを見ていた。

「……チェシャ、」
「ん?」
「…殺したいなら、私が…」

退屈したのか、弾がもったいないとでも思ったのか、少女はチシヤにそう言う。
チシヤは、少女が以前銃が得意だと言っていたのを思いだしたが、首を横に振った。

「いいんだ。これは遊びみたいなものだから」

…しかしその“遊び”も、アリスの言葉によって中断させられてしまう。そこへ、右手を怪我したウサギがやってきた。
ニラギはウサギに銃を向け、アリスは逃げろと叫びながら銃を構える。
二つの銃は、ほぼ同時に発砲した。
しかし、アリスの銃は目標に命中したが、ニラギの銃はウサギには当たらない。
…代わりに、ウサギを庇ったチシヤの腹に穴を空けた。
どうして、と問うウサギに「変わってみたかった」と笑うチシヤ。アリスに言いかけた言葉の続きを話した後、必死に出血を止めようと傷口を圧迫する少女の手に触れた。

「…キティ、」
「…チェシャ…死んじゃやだ…チェシャ…」
「…君は…彼らと一緒に、行け」
「…っやだ!…チェシャといる………チェシャ…どうして、私を使わなかったの…?私はずっと…そのためにいたのに。…あなたが死んだら…私の生きている意味が、なくなっちゃうよ…」

チシヤの顔に付いた血を服で拭い、少女はその髪に顔を埋める。少女の頬を伝う涙が、チシヤの髪に吸い取られていった。

「キティ…もう、オレに君は…必要ない。だから…」
「…やだ……どこにも行かない。ここにいるの…っ…チェシャ…」

しゃくりあげる少女に、チシヤは眉尻を微かに下げる。普段あれほど従順な少女が頑として首を縦に振らず、チシヤは驚くと同時に少し困ってもいた。

「…安心しろ」

泣き続ける少女と黙り込むチシヤに声を掛けたアリス。
少女は涙を零し続けながらその目をアリスに向け、チシヤもゆっくりとその視線を上げる。

「オレは無理に君を連れて行ったりしない」

ニッと笑ったアリスは、その目に光を取り戻していた。


     *



嵐が治まり、青空に太陽が輝く。
アリス達が「はあとのくいいん」に向かってから、暫く経った頃。
少女の腕の中で荒い呼吸を繰り返していたチシヤの吐息は、少しずつ遅くなりやがて聞こえなくなった。

「……チェシャ…?」

少女はそっとチシヤの胸に手を当て、その鼓動が止まったことを知ると、静かに目を伏せ今度は頬に触れた。その頬は、照り付ける太陽の下でも冷たく青白い。
少女は、隠していた銃を取り出した。チシヤが使っていたベレッタを、こっそり拾っておいたのだ。
少女はもう、泣かなかった。
その瞳は暗く虚ろで、一切の光を映さない。

澄んだ青空に、乾いた銃声が一つ、響いて消えた。


   *   *   *

Ideal…理想的な。
Ifその1。