雪花石膏の指先

尾形が瀕死の状態で運ばれてきたという情報を耳にした鈴は、手入れをしていた短刀を放り投げて部屋を飛び出した。
鶴見の飼い猫として顔が知られているため、兵舎内を歩き回っても不審に思われることはない。たたた、と軽い足音を立てながら病室へ走る鈴の頭に、じっとこちらを見つめる黒々とした目が浮かんだ。

「…おや、鈴」

鶴見が部屋の入り口で立ち止まった鈴を振り向く。病室には鶴見と月島、その他数名の兵士がいた。彼らが囲むようにしているベッドの上に、人影。かなり腫れている上に包帯でぐるぐる巻きにされているため顔の判別が難しいが、それでも寝かせられているのは尾形なのだとすぐにわかった。

「……だれが、これを、」

ふらふらと覚束ない足取りでベッドへ近寄り、かろうじて聞き取れる声量で吐き出された鈴の問いに、鶴見は「わからん」と首を振る。

「意識が回復しないことには何の情報も聞き出せんからな」

鶴見の言葉は、鈴の耳に届いていなかった。
寝かせられた尾形をじっと見つめる鈴の表情は、俯いているため誰にもわからない。瞳孔が開き怒りに顔を強ばらせている表情を唯一見ることのできる位置にいた尾形は、その黒い目に鈴を映すことはなかった。



眠る尾形の手を握る。
普段でさえ白く暖かいとはいえない手が、さらにその温度と血色を失っていた。
……名前を、呼んでほしい。
尾形の眠るベッドに顔を伏せ、鈴は思う。もう何日もその声を聞いていないことが、ひどく悲しかった。
部屋の入り口に交代で立っている見張りの兵士たちは、人によって鈴をいないもののように扱ったり気遣う素振りを見せたりする。中には食事も睡眠も疎かなことを柔く咎める者もいたが、鈴にはどうでもいいことだった。
鶴見には彼の部下から鈴の様子が伝わっているだろうが、今のところ何の咎めもない。元々尾形を見張るようにと命じたのは鶴見の方だ。鈴がどれだけ尾形に張り付こうと、咎められる筋合いはない。ただ、鈴の方は尾形を見張るなどというつもりは毛頭なく、ひたすらに心配と寂しさを混ぜた眼差しで寄り添っている。
顎と腕を骨折した尾形にぴたりと張り付いているのを見て、看護婦たちは患部には決して触れぬようにと鈴に注意を促した。その言葉に忠実に頷いた鈴は、ゆえに尾形の左腕から離れない。
高熱を出しているにもかかわらず青白い顔の尾形をじぃと見つめながら、鈴は自分のよりも大きく白い左手を包み込むように握りしめた。



尾形の意識が一度回復したとき、鈴は眠っていた。
麻酔でも打たれているのか、いくつか骨折をしているはずにも関わらず感覚は鈍い。ひどく頭がぼうっとするのは、薬のせいだけではないだろうと思った。
伝えなければならないことがある。
視線だけで部屋を見渡すと、入り口に兵士が立っていた。声をかけようとしたが、口が開かない。しばらく声を発していなかったせいか、喉も尾形の思うように音を発してはくれなかった。さてどうしようかと上手く働かない頭で考えていると、運良く入り口の兵士と目が合った。
尾形の意識が戻ったことに気づいた兵士は慌ててこちらへ駆け寄ってくる。
鈴にしっかと握られている左手をなんとか引き抜いて、震える指先で文字を書いた。有名な戦争の英雄の二つ名だ。それだけでも伝えれば気づく者は多いだろう。
兵士は尾形の伝えた文字を確認すると、どこかへ走って行った。
残された尾形は自分の左側で眠る鈴の顔色があまり良くないことに気づく。彼女は怪我などしていないはずなのに、顔は土気色な上に目の下には隈まであり、ひどく憔悴していた。
自分を心配していたのだろうか。
もし彼女が本当に顔色が悪くなるほどに尾形を心配しているのだとしたら。
…そうだといい。
眠る鈴の白い頬を撫でて、小さな手を握りなおす。閉じた尾形の瞼の裏で、鈴の焦げ茶の瞳がじぃとこちらを見つめていた。

* * *

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