誰も見ないで、僕を選んで


帰ろうかという時間になって、佐一くんと尾形さんが再び言い合いを始めた。その渦中にいるのは紛れもなく私で、彼らの論点は「私がどこに帰るのか」だった。
「自分が連れて帰る」と当然のように言う尾形さんに、「鈴さんはうちに住んでるんだ」と佐一くんが噛み付く。主張として正しいのは佐一くんなのに、私はなぜか、尾形さんについて行かなければならないような気がした。
ただしそれは、ぼんやりとした勘のようなもので、そんなものよりも理性の方が、私にとって有効的な事実を告げた。それは、明日は学校があり、教科書や制服は佐一くんの家にあるということだ。それに、いくらなんでも今すぐに引越しをするのは無理がある。
そこまで考えて、自分がいま尾形さんの家に引っ越す前提で考えていることに気付いた。
…もし、明日学校が休みだったら、必要なものが揃っていたら、私は尾形さんの手を取っていたのだろうか。
自問自答してでた答えは「是」だった。



「今日は帰ります、佐一くんと」

私がそう告げると、尾形さんはありありと絶望の色を浮かべたので、慌ててつけ加えた。「明日は学校だから」と。尾形さんはまだなにか言いたそうだったけれど、口を開けたり閉じたりを繰り返し、少しの間押し黙ってから「わかった」と低く唸るように言った。

「あいつと一緒に行きたかった?」

帰り道、佐一くんが私の顔を覗き込むように首をかしげて言う。
私は自問自答の答えが「是」であったのを思い出して、「…たぶん、」と曖昧に頷いた。
自分でもよくわからないのだ。理解がまったく追いついていない。

「鈴さんはやっぱりあいつが好きなんだね」

佐一くんが苦々しい顔をする。
きっと、佐一くんには私のわからないことがわかっているのだ。たぶん、尾形さんにも。
佐一くんや尾形さんに、すべて教えて欲しいと言えば、教えてくれるのだろうか。
でもなぜか、知るのが怖いとも思った。



家に着くと明日子ちゃんにすごく驚かれた。曰く「尾形について行くと思った」らしい。
尾形さんにしたのと同じ言い訳をすると、「そうか」と笑った。

「いつ尾形のところに行くんだ?」

明日子ちゃんは、まるで私が尾形さんのところに行くのが当然のことのように言う。疑いようのない事実であるかのように、まっすぐに。
私はいまだに困惑しているのに。

「ええと。…来週にまた、会う約束は、した」
「会うだけなのか?」
「…ええと、」

…同じことを、尾形さんにも言われたのだ。「いつ俺のところに来るんだ」と。まるで一緒に住むのが正しいことのように。いつか必ず、当然のようにそうなる時が来るかのように。

「尾形はよくそれで納得したな」
「あ、納得した顔じゃなかったよ、ぜんぜん」

感心したように腕を組んだ明日子ちゃんの言葉を、間髪入れずに否定した。
証拠となる品々を鞄から取り出してみせる。それは男物の指輪であったり、携帯端末であったり、尾形さんの家の鍵や地図であったりした。
次から次へと出てくるそれらに、明日子ちゃんが吹き出す。

「待て、言うな、当ててみせる。……鍵と地図は尾形の家のものだな。いつでも来いとでも言われただろう。携帯は…夢にうなされたらいつでもかけてこいということだな。1日1回は連絡をよこせ、くらいは言いそうだ。…指輪は……多分、鈴に自分のものを身につけさせたかったんだろう。肌身離さず持っていろと言われなかったか?」

ひとつひとつを手に取って、すらすらと当てていく明日子ちゃんに唖然とした。ほんとうは今日ずっと私たちを見ていたんじゃないのかと疑うくらいに、彼女の言うことはすべて当たっていた。
ただ、連絡は「1日1回」ではなく「1日3回」はしろ、とのことだったけれど。
そう伝えると、明日子ちゃんは額に手を当てて「たはー!」と声を上げた。

「私の認識が甘かったな! けど、鈴を大人しく帰しただけでもかなりの譲歩だと思うぞ」
「そうなの? 佐一くんと殴り合い始めそうな雰囲気だったけど…」
「でも殴らなかったんならかなりの進歩だ」

あっけらかんと言う明日子ちゃんに思わず笑ってしまった。