東京喰種 | ナノ

「紗薇、欲しいものはない?」
「ない」
「ご飯はどのくらい前に食べた?」
「2週間くらい、前…」
「この前読んでた本はもう読み終わった?新しいの買ってくる?」
「…まだ。他にも…読んでないの、あるから…」
「コーヒー、飲む?淹れてきてあげる」
「……飲みたい」

会話をしている間ずっと無表情で首を横にしか振らなかった紗薇が、この時初めて嬉しそうに頷いた。

「待ってて。すぐに持ってくるから」

ぼくは紗薇を抱き上げて立ち上がり、そっと彼女をソファに下ろした。
キッチンで二人分のコーヒーを淹れて、すぐに彼女の元へ戻る。
ひた、ひた…と彼女が裸足で床を歩くたびに、ジャラジャラと音を立てて鎖が動く。
軽くて丈夫な合金でできた鎖。
動き回ってもそれほど邪魔になることはないけれど、紗薇を一定の範囲に縛り付ける銀色のそれは、アクセサリーのように煌めいている。

「紗薇、お腹空いてない?」
「大丈夫」

紗薇はあまり話さない。はっきり言えば無口だ。…蓮示くんほどではないけれど。
彼女が無口なのは元々で、今が特別に不機嫌というわけではない。
聞かれたことにはちゃんと答えるし、表情に乏しいといえども笑うことだってある。
一緒に住んでいるぼくたちを見れば、きっと恋人の様に見えるはずだ。
…ただ一つ、彼女の片足首につながる銀の鎖を除けば。

紗薇は強く、美しかった。
黒い髪に青い目をしていて、ハーフなのだと紗薇は言っていた。
母親は外国の人なのだと。
彼女は二重の意味でハーフだった。
母親は外国人の人間、父親は日本人の喰種。
黒い髪は日本人の血、青い目と真っ白な肌は外国人の血、紅に染まらない片目は人間の血、腰から現れる赫子は喰種の血。
特に、赫子を出す時や食事をする時の紗薇は格別に美しかった。
片目は白い眼球に青、もう片方は黒い眼球に赤。
美しく完璧なコントラストが、そこにあった。
そして、人間と喰種のハーフである彼女は、その境遇からか、強くならざるを得なかったのだろう。整った顔のまま、人だろうと同族だろうと関係なく切り刻む姿は、どんな芸術品よりも美しく、価値のあるものに思えた。
だから、ぼくは紗薇を自分だけのものにしたいと願った。
彼女は、ぼくのその歪んだ願望を、受け入れた。

「紗薇、おいで」
「…?」

ぼくの伸ばした腕の中に自ら納まった彼女は、ぼくの膝の上に座りこちらを見上げて首を傾げる。どうしたの、とでも言いたげな彼女に「何でもないよ」と頭を撫でてやると、紗薇は大人しくぼくに凭れかかってきた。

可愛い紗薇。
ぼくだけの紗薇。

…彼女に初めて会った時、ぼくはまだ4区のリーダーをしていたけれど、紗薇の存在は誰にも教えなかった。
リーダーをやめ、店を始めることに決めた時、ぼくの願望を彼女に打ち明けると、紗薇はさして驚いたふうでもなく、静かに頷いた。

…それ以来ずっと、ぼくと紗薇のこの不思議な関係が続いている。

「…ウタさん、」
「ん?」
「お仕事は、うまくいってる?」

コーヒーのマグカップに口を付けながら、紗薇は静かにそう言った。
彼女には、マスク屋に行くとき以外――ピエロの活動をする時に、“仕事”という言葉を使う。
活動の内容までは教えていないけれど、普段は規則的な時間にお店との間を行き来しているぼくが、時々真夜中や朝方に(時には血の香りを纏って)帰って来るのがその“仕事”の所為なのだから、気にならないはずはない。

「うん、順調だよ」

少しだけ微笑んでそう言うと、「そっか」と呟いて紗薇はコーヒーを啜った。


   *   *   *   *   *


「…ウタさんがマスク作ってるの、見たい」

いつもと同じ静かな口調で、紗薇は唐突にそう言った。

「…んー…紗薇がお店に行ったら、お客さんに見られちゃうかもしれない。ぼくは、紗薇がぼく以外の誰かに見られるの、嫌だなあ」
「うん。だから、ウタさんがここで、作って?」

表情は変わらないものの、首を傾げてそう言う紗薇は、おねだりをしているようにも見えて、可愛いことこの上ない。
ぼくは、紗薇がこの生活にうんざりして外に出る口実としてそんなことを言いだしたのだと思ったけれど、そうでないのなら、数少ない紗薇のお願いを断る理由などどこにもない。

「じゃあ明日は、道具を持って帰って来るね」

頭を撫でると、紗薇は嬉しそうに笑った。


     *     *     *

続きます。



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