東京喰種 | ナノ
※星屑を拾いました の続きです


…お前なんかいらないと言われるのが普通だった。殴られるのが日常だった。罵られるのが当たり前だった。
…喰種と呼ばれる存在がいることは知っていた。ただの都市伝説だと言う人もいるけれど、捜査官や研究者がいる以上、実在するのだと思っていた。でも、実際に見たことはなかった。
…その張り紙は、不思議な張り方をされていた。治安の悪い4区で普通に張り紙をすれば、1日ともたない。落書きをされ、破り捨てられ、塵として風に流される。しかしそれは、1週間が経過しても同じ状態を保っていた。
“いらない命、ください。”
それは一見、剥がれ掛けの古い紙のようだった。全体が日に焼けたように黄ばみ、左上が欠け垂れ下がった部分が文字を隠していた。しかしよく見ればそれらはわざとなようで、注意して見なければ分からないサイズで連絡先も書かれていた。

「初めまして。きみの担当をします、ウタです」

イトリと名乗った綺麗な女性に言われた場所へ向かうと、かなり奇抜な格好の男性がいた。見た目の割に優しげな声と口調なことに驚いた。


   *   *   *   *   *


「はい」

渡された食事に、少し戸惑ってしまった。どこにでもあるコンビニ弁当だけれど、久しぶりに見た“ちゃんとした食事”だった。学校へは、もう随分長く行っていない。

「きみが太るまで、ぼくはきみを殺さないよ」

殺すために育てる。…それはいつかの昔に読んだ物語を連想させた。
死なれると面倒だから、という理由で生かされていた私は、キツネが殺すために育てている動物たちが羨ましかった。だから、その結末に不満を抱いたことを今でもよく覚えている。
イトリさんが教えてくれた。ウタという人はとても強くて有名らしい。CCGに目をつけられるほどに。…それが良いのか悪いのかは分からないけれど、私が目的を失って途方に暮れることはないのだと安心はできた。


   *   *   *   *   *


「紗薇ちゃん、喰種になってみない?」
「………え、……と…」

ちょっとこのマスクつけてみない?みたいなノリで、ウタさんの口から出てきたのはとんでもない言葉だった。

「知り合いのツテでね、人間を喰種にできる人がいるんだけど……紗薇ちゃんが嫌なら無理強いはしないよ」

何と言えばいいのか分からず言葉に詰まっていると、ウタさんはそう続ける。石榴の瞳が何を考えているのかを読み取ろうと、じっと見つめるも全く分からない。

「……ウタさんは、私が喰種になっても困りませんか」
「んー…喰種どうしは好んで同族の肉を食べたりはしないけど、きみ一人が死ななくても食糧には困らないよ」
「…じゃあ、私が喰種になったら、ウタさんに食べてはもらえないんですね…」

喰種が同族を食べないのは、知らなかった。短期間とはいえ一緒に生活しているうちに、私は変な願望を抱いてしまっていた。…ウタさんに、食べられたい…と。
喰種になってしまったら、その望みは叶わない。

「…ぼくさ、紗薇ちゃんに愛着湧いちゃったみたいなんだ。できれば、一緒にいたい。“人間の紗薇ちゃん”はぼくが殺してあげるから、もう少し一緒にいようよ」

人間の私。いらないと言われ続けた私。
…喰種になれば、もうそんなことは言われなくてすむ…?


   *   *   *   *   *


嫌だったらちゃんと殺してあげるから、というウタさんの言葉に背中を押され、私はウタさんと同族になった。今まで普通に食べていたものが急に、しかもびっくりするほど不味くなったのは驚いたけれど、代わりに人肉を食べたときの快感を得た。

「…身体は大丈夫?」
「はい」
「意外と嫌がらないんだね。人の肉を食べるの、抵抗とかない?」
「…大丈夫です。原型が残っていると少し食べにくいですけど、肉の塊になってしまえば、全然」

人間の頃だって、生きている動物を美味しそうとは思わなかったけれど、肉として出てくればそれはもう“食べ物”でしかなかった。種族が変わっても、対象が変わっても、その感覚は変わらない。

「なんか残念だなあ。ぼくの知り合いは、すごく苦労してたから」
「…何を期待してたんですか」

ちぇ、と口をとがらせるウタさんをじとっと見つめる。
人肉を拒絶していたら、私はこの人に何をされていたんだろう。

「………まだ、死にたいと思う?」

浮かべていた悪戯っぽい笑みを消して、石榴の瞳が私を見つめる。…死にたいと答えたら、この綺麗な模様に彩られた腕に貫いてもらえるのだろうか。

「…もう少し、生きていてもいいですか」

いらないと言われ続けた私は死んだ。
今の私はもう、あの人たちとは関係ない。
ウタさんに殺してもらえるなら死んでもいいとは思うけれど、私が生きることを望んでくれる人がいるのなら。

「…きみをいじめていた人たちが気になる?なんなら、食べちゃおうか」
「…いえ、彼らに恨みはありませんから。…ウタさんがそうしたいなら、私は止めませんけど」

命を狙われる立場になってしまった。
人らしく生きられなくなってしまった。
今までの生活にはもう戻れない。
でも。
私の新しい身体は、きれいな羽根を生やすことも、傷を今までよりずっと早く治すこともできる。人の食べ物は食べられなくても、「美味しい」という言葉では片づけられない快感を得た。常に正体を隠しながら闇に溶け込む生活も、ウタさんと一緒ならきっと楽しい。

「赫子で戦う練習、付き合ってくださいね」
「戦う機会なんて、ないと思うけど」
「せっかく羽が生えるんです。使ってみたいじゃないですか」

まあいいけど、とウタさんが笑う。弧を描く瞳の色と、自分も同じになれるのだと思うと、うれしい。

「まずは体力をつけないとね」

サイドテーブルに置かれたお皿から肉を一欠片つまんで、ウタさんはそれを自分の口に入れた。私も、と腕を伸ばすけれど私の手は目的は果たせず、ウタさんによって引っ張られる。驚きの声を上げる間もなくウタさんの唇が私のと合わさり、口に入ってきたやわらかい食感。

「……え……え?」

頭は状況に追い付かず、楽しそうに笑う石榴の瞳をただ見つめるだけ。…ああきっと、今の私は彼と同じ瞳をしている。

「やってみたかったんだ、これ」

弧を描く石榴は、黒の中でよく映える。
同じ石榴で私も笑って、未だ慣れない快感とともに肉片を飲み込んだ。

…死して始まる世界はきっと、美しい。


     *     *     *

最後の一文を、タイトルを一目見たときから書きたかった。



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