東京喰種 | ナノ
「初めまして。きみの担当をします、ウタです」
「宮野…紗薇、です…」
「紗薇ちゃんね、よろしく」

その少女は、ぼくの外見と態度に少なからず驚いているようだった。
俯きがちではあるけれど、長い髪の隙間から覗く瞳は珍しいものでも見るように、好奇心と警戒心とが入り混じった色をしている。
実際、珍しいのだと思う。
人間の中には、未だに喰種を都市伝説の類だと思っている者も少なくないと、聞いたことがある。

「…、」

紗薇と名乗った少女は、ぼくの言葉に戸惑いながらも、ぎこちない動作でぺこりと頭を下げる。
青白い、という表現が相応しい白さだった。
下弦の月に照らされて、少女の肌はぼんやりと光っているようにすら思える。
長い髪でほとんど隠れている顔や、若干縮こまっているようにも見える猫背も手伝ってか、彼女は既にこの世のものではないような雰囲気を纏っていた。

「………あの、」
「あ、ごめん」

じっと見つめられてどうすればいいのか分からなかったのだろう。
少女は控えめに、ぼくに声をかけた。

「きみ、見た感じ基準に達してないような気がするけど、ちゃんとイトリさんの検査は受けたの?」
「あ、それが……これを、」

ぼくの言葉で思い出した様に、少女は小さな紙切れを差し出す。
受け取った紙を開くと、彼女の簡単なプロフィールがイトリさんの字で書かれていた。
案の定、そこに並ぶ数字たちは基準を満たしておらず、メモの一番下には走り書きが。
“見ての通りだから、ウーさんあとはよろしく!!”
…雑すぎだと思うのはぼくの気の所為かな。
そもそもはイトリさんの思いつきで始めたことなのに、面倒事はほぼ毎回ぼくに押し付ける。

「…はあ…」
「…あの、それで…私はどうすれば…」

もそもそと聞き取りにくい声で、少女は戸惑いを隠そうともしない。

「…うん。とりあえず、行こうか」
「……どこへ…?」
「ぼくんち」

その出会いは果たして、吉と出るか凶と出るか。


   *   *   *   *   *


「はい」
「……え、と」
「ごはん、ちゃんと食べて?イトリさんから何も聞いてないの?」
「いえ、その…体重が足りない、と…」
「うん。だから、はい。きみが太るまで、ぼくはきみを殺さないよ」
「……、」

何か言いたげな瞳が、ぼくを見つめる。
怒っている、というわけではなさそうだ。ぼくに遠慮している、ということもないだろう。…困惑、という言葉が彼女の下がった眉を表現するのに最も適しているように思う。

「…知ってるかもしれないけど、喰種ってけっこう生きにくいんだ」
「……?」
「白鳩の存在もあるし。人間が支配する世界で、その人間を食べて生きてるんだから、当然だよね」
「…?」
「人間みたいに毎日食べる必要もないけど、それでも食料は必要になる」
「…」
「ぼくがきみに食べ物を渡すのは、ぼくがきみを美味しく食べるため。分かってると思うけど、これはただお互いの利害が一致したから結ばれた契約だよ」
「……だから…なにも気にせずに食べろ…そう、言いたいんですか」
「…なんだ、ちゃんと喋れるんだね」

ぼくがせっかく遠まわしに言おうとしていた言葉を、少女は眉一つ動かさないままストレートに言い放った。
ぼくは、少女がしっかりした言葉を発したことに驚く。
てっきり、まともに喋れないものだと思っていたのに。

「………昔、似たような物語を読みました」
「物語?」
「はい。多分…教科書に載っていたお話です」
「喰種が人間を飼う話?」
「…そんなのが教科書に載るわけないでしょう。日本の教育、バカにしてます?」
「だってぼく、教科書なんて見たこともないし」
「………。…お腹を空かせた狐が、ひよこを見つけるんです。太らせてから食べようって、大事に育てるんです。家鴨とうさぎも見つけて、そうして三匹が太ってきた頃、狼が襲ってくるんです。狐は三匹を守って戦いました。……このお話の最後、どうなったと思いますか?」
「…うーん…狼に皆食べられておしまい、とか?」
「…いいえ。狐が死ぬんです。狼を撃退して。三匹を守りきったと、笑いながら死ぬんです。……馬鹿みたいでしょう。本末転倒っていうやつです。子供向けのハッピーエンドにしたつもりかもしれないけど、そんな曖昧な終わり方、イライラするだけじゃないですか。どうせなら、弱肉強食の仕組みを子どもに教えればいいのに」

…まともに喋れないなんて、全くぼくの思い込みだった。
彼女は流暢に、多くの言葉を発した。
…子供向けのハッピーエンドを受け入れられない子供。
喰種ならば荒んだ性格の子供なんて珍しくもないが、人間である彼女がこうも捻くれている理由。それは多分、この少女の家庭環境だ。
両親から愛されていないのだということを表す「虐待」の二文字が、イトリさんのメモにあった。
まだ14歳の彼女が、イトリさんの簡単な審査に引っかかったのも、その所為だと思って間違いないだろう。

「…ぼくがその間抜けな狐みたいになるっていうの?」
「とんでもないです。ただ思いだした、それだけです。あなたには、ちゃんと私を殺していただかないと困りますから。…それに、」
「?」
「あなたはとても強いのだと、イトリさんに伺いました。あなたに勝てる喰種など、そう滅多に現れないでしょう」
「(…笑った…)」

初めて会った時は、既に死人みたい、なんて思っていたのに。
黒のパーカーに暗い色のデニム、長い黒髪を真ん中で分けた彼女は、とても大人びて見えた。
その笑みは淡く頼りなさげなのに、どこか妖艶で。
緊張が解け無意識に出たものなのか…それとも、ぼくの強さへの信頼か。


   *   *   *   *   *


「…服、ですか?」
「うん。紗薇ちゃん、来たとき何も持ってなかったでしょ。ぼくの趣味だけど、無いよりはマシかなと思って」
「…着られればそれでいいです。ありがとうございます」

彼女に似合いそうだと思って買った服。予想通り、紗薇ちゃんの雰囲気に合っていた。

「髪、結んであげようか」
「……、…はい」

服に合いそうな髪留めを、服と同じショップバッグから取り出すと、紗薇ちゃんは少し躊躇ったあとぼくの足もとに腰を下ろした。

「髪、ちょっと切ってもいい?」
「お好きにどうぞ…」

まずは髪を縛り、余分なところをはさみで切り揃えていく。

「ハイ、できた。ぼくとお揃い。こっち見て、……!」
「…やはり、喰種から見てもこれは気持ち悪いですか…?」

髪を弄っていた時には、角度と視線の関係で見えなかった。
紗薇ちゃんと正面で向かい合った今、初めてその存在に気づき、ぼくは少し驚く。
彼女の黒い髪が隠していたのは、太陽を知らない細い首だけではなかった。
…傷。
首の正面から右にかけて、一文字に何かで切られたような傷がある。
…だから彼女は髪を上げることに躊躇いを見せたんだ…。

「…ぼくは気にしないよ。きみが気にするのなら、これを付ける?」

差し出した黒いチョーカー。
彼女はじっとそれを見つめ、やがて静かに受け取った。


     *     *     *

続きます。



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