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目覚ましを止めて伸びをする。
見慣れた部屋は、朝日の穏やかな光で満たされていた。刀掛台に置かれたひと振りの斬魄刀に心の中で挨拶をして、身支度を整える。一度だけ私が解放したあと、主を失ったその斬魄刀は器だけを残し応答しなくなってしまった。
一人になってから、部屋が随分と殺風景に見える。何年も奏と一緒に住んでいた部屋は、私一人には広すぎる気がした。
かといって引っ越す当てなど無い。
今まで「奏の部屋」だったここはもう、「私の部屋」なのだ。
――行ってきます。
刀掛台の斬魄刀を振り返り胸の内で呟くと、静かにそこを出た。

戸を控えめに叩き入室許可の声を確認してから開けると、自分の直属の上司二人の他にもう一つ人影があった。乱菊さんと向かい合わせに座っていたその人は、私を見て慌てて立ち上がる。

「あ、ごめんなさい! 邪魔だよね!」

急いで出て行こうとするその人に、頭と右手を振って大丈夫だと伝える。抱えていた書類を提出すると日番谷隊長が「ご苦労」と紙束を受け取った。頭を下げてそのまま退室しようとするが、私が部屋を出るより先に扉の前で待ち構えていた乱菊さんに捕まってしまった。日番谷隊長は勿論注意したけれど、今回ばかりは相手が悪い。乱菊さんの他にも、私を引き止めたがる人がいたのだ。

「ちょっとだけ、いいでしょ日番谷くん。あたしまだちゃんと詩さんに挨拶してないし。…あ、急いでいたらごめんなさい! 忙しかったら、また今度でも…」

日番谷隊長を黙らせたその人は、私に向かって気遣うように微笑む。今度でもいい、と口では言うもののその眉は八の字に下がり、まだ断ってもいないのに罪悪感が込み上げた。

「大丈夫よ。詩は断ったりしないから」

ね? と背後から私の肩に手を置く乱菊さんの声に頷き、にっこりと微笑み返す。ぱぁっと音がしそうなほど表情を明るくしたその人は、いそいそと座っていた位置に戻った。

「知ってるかもしれないけど…あたしは雛森桃。五番隊の副隊長を任されてます。詩さんとこうしてちゃんと話すのは初めてだよね。よろしくお願いします」

座ったまま頭を下げた雛森副隊長に、こちらも頭を下げる。一瞬、微妙な空気が流れ、雛森副隊長が私の言葉を待っていることに気づいた。乱菊さん達も一拍遅れて気づいたようだが、私が曲水を呼び出す方が僅かに早かった。

「…あんたのことは勿論知ってる。聞いていた通りの奴だな。俺は詩の斬魄刀、曲水。声の出ない詩の代わりに俺が話す」
「久しぶりね曲水。相変わらず奏にそっくり」

突然現れた曲水に面食らっている雛森副隊長とは違い、慣れている乱菊さんは呑気に話しかける。乱菊さんは彼を何度か見ているため、他の人のような反応はしない。


「あんたは相変わらず美人だな、乱菊さん」
「やだこの子ったら、正直ねー!」

お決まりの反応をされないことに上機嫌な曲水は、乱菊さんと親しげに話している。上機嫌なのは良いが、雛森副隊長と話すために呼んだことを忘れないで欲しい。
当の雛森副隊長はというと、顔を青褪めさせ申し訳なさそうな表情をしていた。

「ご、ごめんなさい! あたし、詩さんの声が出ないのを知らなくて……」
「別に、気にしてない。詩の代わりに俺が話すことも少なくないしな。それと、敬称を付けなくていい。他隊とはいえ、あんたの方が上司だろう。部下の顔色をそんなに窺わなくていい」

……なんでこう、一言多いというか、冷たい言い方しかできないというか…もう少し言い方ってものがあるでしょう、と隣にいる曲水の脇腹を肘でつつく。
…けれど、確かに曲水の言う通り、奏から聞いていた通りの人だ。艶やかな黒髪と目。愛らしい桜色の唇。ほっとしたように微笑む姿は可憐な花のよう。
かわいいの一言に尽きる。
日番谷隊長のような儚さはないが、この人もまた大事に仕舞っておきたくなるような空気を纏っている。

「……詩が、あんたを“可愛い”ってさ」
「ふぁっ!?」
「!?」
「……うぐっ」

曲水の言葉にほんのりと頬を赤くした雛森副隊長と、ギョッとして横を振り返る私。机の下でバレないように思いきり足を踏みつけると、曲水が呻いた。
なんでこう、余計なことばかり言うのだろう。

「…あ、ありがとう…詩さん……詩ちゃん…? …は、その、すごく綺麗だよね。奏くんとそっくりで」

…おろおろと挙動不審になりながら照れる雛森副隊長が、これはこれで可愛い。曲水を褒めるわけではないが、彼女のこんな表情を見られるなら、余計な一言、というのは間違いだったかもしれない。

「…奏くん、いつもあたしに優しくしてくれて、いつか詩ちゃんとも仲良くなれたらって、ずっと思ってたの。奏くんね、詩ちゃんの話ばっかりするんだよ。詩ちゃんのこと本当に大好きなんだなって思って。……本当は…奏くんと詩ちゃんと、三人でお話ししたかったな…」

笑顔で喋っていた雛森副隊長が、徐々に眉を下げていき、声が途切れる頃には目尻まで下げてへにゃりと悲しそうに笑う。
奏のバカ、と私は内心毒づいた。
この人は日番谷隊長の大事な人だから、悲しませる奴は赦さないと、そう言っていたのは奏自身なのに。彼女は今、奏を思って泣きそうな顔をしている。

「あ、ごめんね! 暗い話をするつもりじゃなかったの」
「…いい。奏を気に入ってくれてありがとな。詩とも仲良くしてやってくれ。これからよろしく」

今度はちゃんと伝えたい言葉を言ってくれた曲水に安堵し、雛森副隊長に笑いかける。何故か少しだけ顔を赤くした雛森副隊長は、「こちらこそ!」と、また花のように笑った。




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