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斬魄刀の解放が許されている屋外の修練場は、数十分前まで多くの隊士たちで埋め尽くされていたのが嘘のように静寂で満たされていた。注意深く霊圧を辿れば隊士たちの斬魄刀の霊圧を片鱗だけは感じられるものの、争った形跡はない。
…風が葉桜を撫でていく音がする。揺れる葉に合わせて動く地面の影を、ぼんやりとみつめていた。降り注ぐ陽の光に、葉桜の緑が輝く。

〈…来たぞ〉
〈…任せたわ、曲水〉
〈ああ〉

半透明で私にしか見えなかった曲水の姿が、具象化することで実体を持つ。これで彼の姿も声も、私以外の人にも認識できるようになった。
曲水が反応した霊圧はこちらに向かって近づいてくる。白い羽織を靡かせて現れたその人は、具象化した曲水の姿を見てその新緑色の目を見開いた。

「…睦月…!?」

驚愕の表情で口にされた名は、もちろん私の苗字でもあるが、日番谷隊長が呼んだのは兄の方だ。
私の斬魄刀・曲水は奏と瓜二つだった。着ているものが白の狩衣でなく死覇装であったなら、恐らく誰にも見分けがつかない。日番谷隊長は尚も目の前のものが信じられないとでも言いたげに曲水を凝視しているが、曲水本人は気にも留めていなかった。

「詩の斬魄刀、曲水だ。唐突で悪いが、あんたの斬魄刀を始解してくれ」
「……どういうことだ」

真ん丸に見開かれていた目が微かに細められ、疑惑と警戒の色が浮かぶ。低く発せられた声には戸惑いも滲んでいた。

「何を勘違いしているかは知らないが、俺は手合わせを願い出ているわけでも、まして奏の仇討ちをしようってわけでもないからな」
 
曲水は面倒くさいのを隠すことも無く溜め息を吐き、冷ややかな目で日番谷隊長を見つめる。いくら斬魄刀とはいえ、その態度は如何なものかと心の内で咎めるも、聞こえているはずの曲水は冷ややかな態度を崩さない。
先刻同じことを十番隊の隊士相手にもやったため、若干飽きてもいるのだろう。何よりも姿を現すたびに同じ反応をされることにうんざりしているのが分かる。奏と同じ外見に驚愕され、斬魄刀を解放しろと言えば警戒され。もう慣れている反面、鬱陶しくもある、と云ったところだろう。
もはや顔に面倒くさいと書いてある。
面倒くさいのは分かるが、相手は自隊の隊長であるため、他のどの隊士より丁寧に接してほしいというのが私の本音である。曲水は「そんなこと知るか」と言いそうだけれど。

「…俺の能力は発動させる前に準備が必要なんだよ。予め“攻撃しない霊圧”を覚えておかないと、その場にいる全員が攻撃を食らっちまうからな。死神の霊圧だけなら詩と接触した時に覚えられるが、斬魄刀は解放してもらわないと分からない」
「……そういうことか。疑って悪かった」

疑っていたことを素直に謝る日番谷隊長に、本当に疑っていたのかと少し残念な気分になる。私は移隊のはっきりした動機を誰にも打ち明けていないし、疑われていても仕方ないとは思うが、どこか胸の内がすっと冷えるのを感じた。
しかしそれも一瞬のことで、日番谷隊長が静かに抜刀し構えると幽かに気分が高揚する。

「――霜天に坐せ、氷輪丸」

落ち着いた声で唱えられた解号。解放された斬魄刀。先ほどまで晴天だったはずの空を、灰色の雲が覆う。葉桜はその輝きを失ったのに、日番谷隊長の目だけが変わらずにその美しさを保っていた。
軽く振られた斬魄刀から、少し小さめの氷の竜が生み出される。日番谷隊長に攻撃の意志が無いからか、氷の竜は主の周囲をくるりと泳いだ後、曲水の方へ向かってきた。曲水が触れると瞬時に指先が凍り付くが、それを意に介す様子はない。
やがて霊圧を読み取り終えたらしく、曲水は軽く頷き氷の竜に手を翳した。瞬間、生命体のように動いていたそれが、粉々に砕け散る。
――美しかった。本当に。陽の光が翳ってしまうのは少し残念だけれど、曇り空の下でも十分すぎるほどに氷の竜は美しかった。奏がひと月も騒いでいたのにも頷けるかもしれない。斬魄刀からとぐろを巻くように生み出された瞬間から、宙を泳ぐ姿も、砕けた破片が舞う様子まで、全てが美しかった。

「…睦月? もう、いいか?」

ぼうっと余韻に浸っていた私の意識を、日番谷隊長が引き戻す。はっと我に返り慌てて頭を下げた。

「すみません、ありがとうございました。だそうだ」

曲水が私の言葉を代弁する。
氷輪丸は鞘に収められており、少し離れた地面にはもう木の葉の影が戻っていた。目線を正面に戻すと新緑の目が私を見つめており、ぶつかった視線に宝石のようなそれが揺れる。何とも言えない表情をする日番谷隊長からは、感情が上手く読み取れない。
まだ曲水のことで混乱しているのだろうか。まあ、無理も無いけれど。
私を捉えたままの新緑色をじっと見つめ返すと、先ほどより大きく、その目が揺れた。
…こんなことを本人には絶対に言えないし、考えることすら失礼な気はするのだが、日番谷隊長本人も斬魄刀に負けず劣らず美しく、そして儚げだと思う。まるで硝子細工のように。触れたら、あの氷の竜のように砕け散ってしまいそうで。
…ああ、本当に、美しい。

「――……」
「…睦月…?」

思わず開きかけた口から音が漏れることは無かった。
よかった。声が出せていたら、きっと思ったことをそのまま口にしていた。恥ずかしい。

「もういいだろ。俺は戻る」

少しむっとした声で曲水は具象化を解き、半透明になった姿で口を尖らせる。
どうしたのだろう。彼がこんなに子供じみた態度をとることは無いのに。

「…疑ったりして悪かったな。改めて、これからよろしく頼む」

日番谷隊長の言葉に、姿勢を正して深く頭を下げた。
奏が何故あれほど日番谷隊長のことを好いていたのか、まだ完全に分かったわけではないけれど、私もこの人を好きになれるような気がした。
美しい、硝子細工のような人。
これからは、私がこの人を守るのだ。
ふ、と私が笑みを零すと、日番谷隊長は今日一番の戸惑いの表情をしたあと「戻る」と一言だけ発して立ち去ってしまった。
…怒らせてしまった…?
一人首を傾げている私の横で、曲水が眉間に深い皺を刻んでいた。




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