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「睦月詩を十番隊三席に任命する」

無言で頭を下げる姿は慎み深く、所作のひとつひとつが丁寧そのものだった。纏められた深紅の髪が、黒い死覇装の背で艶かしく妖しい輝きを放つ。揃えられた三つ指は美しく、引き結ばれた口元は凛々しい。顔を上げこちらを真っ直ぐに見つめる淡い色の瞳には、何の感情も映っていなかった。
…本音を言えば、よく引き受けたと思う。こちらとしては勿論、三席という重要な席次をいつまでも空席にしておくわけにはいかない分、ありがたい話ではある。彼女がその席次に見合う実力があるのも知っている。が、しかし。個人的な感想を言えば、何故、と思う。何か思惑があるのでは、と。
十番隊の三席が空席になったのは、つい最近のことだ。元三席だった男は、殉死した。仕事柄よくあることとはいえ、部下が死んで胸が痛まないわけはない。その男に任務を割り当てたのは隊長である俺だ。俺がその男を殺したようなものだという訳ではないが、目の前にいる彼女にだけは、そう言われても仕方ないことだと思っている。
元十番隊三席のその男は、目の前にいる睦月詩の双子の兄だった。兄が殉死し空席となったその席次に、死んだ男の妹が就く。誰もが訝しげな顔をした。さらに、これは浮竹と俺しか知らないことだが、実は空いた席を埋めようと十番隊への移動を願い出たのは彼女の方だった。彼女は上官である浮竹に申し出、浮竹が俺に頼み込んできた。曰く、「彼女の気持ちを汲んでやってくれないか」と。軽率な者なら彼女の行動を指して「美しい兄妹愛だ」とでも云うだろうか。しかし彼女の表情を見て尚そのようなことを口走る者はいないだろう。彼女たち兄妹の仲をさほど詳しく知らない俺でさえ、片割れを失った彼女の瞳に暗く重々しい澱んだ何かが渦巻いているのが分かった。
彼女が一人で兄の敵を討ったと聞いた所為かも知れない。兄の訃報を聞き単独で飛び出した彼女はその晩のうちに仇である虚を生け捕りにし、浮竹の目の前で斬って見せた。己の血にも虚の血にも塗れながら、それでも薄い笑みすら浮かべていたその姿は、凄まじいものだったと聞く。

「もう身体は大丈夫なのか」

虚を生け捕りにするというのは、ただ殺すより何倍も難しい。縛道が破られたり、暴れられる危険性だってある。双子の片割れを殺した虚を生け捕りにしてみせた彼女は、相当の深手を負っていたそうだ。傷は完治したらしいが、その顔色は未だ健康的とは言い難い。永遠に失ってしまったものだってある。
それでもにこりと笑みを浮かべて頷いた彼女に、「そうか」と一言返す以外、言葉が見つからなかった。

廊下を歩き、十番隊の隊舎を案内する。彼女のことを知らない者はいないであろう隊舎内は、彼女への好奇の眼差しで溢れていた。今まで上官と慕っていた男が死んだと思ったら、今度はその元上官の双子の妹が上官として入ってきた。髪の色以外は何もかもがそっくりな妹が。しかも、睦月が自ら十番隊への移動を望んだことは知られていないものの、兄の仇を妹が討ったという話は広まっているらしい。噂のネタとしては十分すぎた。曰く、仇の虚を細切れにした。兄の斬魄刀を始解した。仇討ちのときには十三番隊の隊士を囮にさせ見殺しにした。仇を討った後も殺戮を繰り返してる。十番隊を恨み、復讐しに来た。等々。
根も葉もない噂ばかりだった。
勿論、睦月本人の前でそんな話をする馬鹿はいないが、噂は恐らく彼女の耳にも入っているだろう。隊長として申し訳ない限りだが、隊士たちの好奇の目に晒されても睦月は気にするなと微笑むのみ。何かを諦めているような、もう何も怖いものなど無いとでも云うような、穏やかで無機質な笑みだった。
あいつはこんな顔をしなかった、とつい兄の方を思い出してしまう。あいつの静かな微笑なんて、見たことがない。仕事中の引き締まった横顔を見たことはあるが、俺をその目に映した途端、真剣だったそれは満面の笑みに変わる。俺の方がずっとガキなはずなのに、まるで父か兄を慕う子供のように駆け寄ってくる奴だった。蒼い髪からは冷たい印象を受けがちだが、あいつを何かに例えるなら太陽以外に思いつくものはない。妹と揃いの濃い金の目で、華やかに笑う奴だった。
袖を控えめに引かれ、我に返る。睦月が不思議そうにこちらを見つめていた。

「あぁ、悪い。あとは松本と顔合わせ……と言いたいところだが、執務室にいないみてぇだし、今日は上がっていい。まだ荷物整理も終わってないだろう。明日からよろしく頼む」

霊圧を探り松本の不在を確認する俺に倣い、睦月も霊圧に意識を向ける。情けない副官に溜め息を吐いた俺をくすりと笑う彼女には、減給してやる、と毒づく心のうちまで見透かされているだろう。顔合わせとは名ばかりで、睦月は兄妹ともども松本と呑む仲である。普段は居酒屋で飲むのだが、何度か十番隊の執務室で(松本が)呑んでいたこともあった。その時睦月兄妹は一滴も飲んでおらず、松本に強引に捕まっただけであるのに、酷く申し訳なさそうにしていた。…そんなわけで、睦月には松本のサボり癖が筒抜けである。「悪いな」と謝る俺に首を振る睦月は、もう一度笑みを零したあと頭を下げてその場を立ち去った。
背中で揺れる紅い髪が、陽の光の中で不気味に輝いて見えた。

「たぁいちょー!どこ行ってたんです?」
「どこ行ってた、はこっちのセリフだバカヤロウ。今日は睦月との顔合わせがあると言っておいただろう」

執務室に戻ると、松本は何食わぬ顔で煎餅を齧っていた。その隣には、先ほど帰ったはずの、睦月の姿。

「詩が来るのにお茶菓子が何にもないから、わざわざ買いに行ってたんじゃないですかぁ。隊長ってば、詩を帰しちゃうなんてひどーい!」
「……なんで睦月がここにいる」

松本の態度を無視し、睦月の存在に意識を移す。松本の態度にいちいち腹を立てていては身が持たない。
…部屋に入るまで、全く気付かなかった。霊圧を意識して探れば恐らく気づいたのだろうが、逆にそうでもしなければ気づかない程睦月は霊圧を抑えている。

「あたしが帰って来るときたまたま会ったんです。もう帰るっていうから、一緒に食べようと思って」

隊長もどうです? と松本が指す団子屋の包み。貴族や隊長格が利用する高級和菓子店のものだった。

「……一応聞く。どこから金を出した?」
「え、経費ですけど」

当り前じゃないですかぁ。
こともなげに言う松本に、堪忍袋の緒が切れた。
怒鳴る俺と呑気に煎餅を齧る松本に、睦月は静かに微笑んだ。




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