2019年12月13日

──幸福とは、なんですか。
いつかの問いが、延々と頭の中で回り続けている。幸福とは。それが分かったら哲学の何かの賞をとれそうだ。普遍的な幸福は、これと定めるのがとても難しい。だって、好きも嫌いも人によって千差万別だもの。だけど、幸福とはすなわち善に類するもので、善は相対的であるべきではない。相対的。相対主義。人それぞれだよね主義。みんなちがってみんないい主義。幸福が相対的であることを認めてしまうと、たとえば、殺人を犯すことが幸福であると感じる人を赦してしまうことになる。それでいいはずはない。殺人を快楽のためだけに犯すことは、悪であるはずなのだ。悪でなければ、ならないはずなのだ。
……そんな哲学はひとまずとして。
私にとっての幸福は、影の中で息をすることで。あの人を中心に、世界を見ることで。けれど、死者を中心として見る世界に、華やかな幸福などあるはずがなくて。不安定で陽炎のような影は、よくバランスを崩してその姿を薄くしてしまう。つまり、私の幸福は、とてもほの暗く、薄氷の如き危うさの中にある。どこぞの合唱曲ではないけれど、私の幸福を、誰かは不幸と呼ぶだろう。否、むしろ不幸と名付けるほうが、感覚としては正しいのかもしれない。私の幸福もまた、普遍的であるべきではないのだ。
わかってる。わかっては、いる。でも、放っておいてくれ、と言いたくなる。私の幸福は、私だけのもので。私の感情は、私だけのもので。それを普遍的なものにすべきだなんて、言いたくもないのだ。