2019年10月29日

塩のふたを閉め忘れる。
些細なことだと、自分でも思う。けれど、おかしいのかもしれないとようやく思い始めたのはそれだった。
ここ数週間、文献がまともに読めなくて、寝れば治るかと思えば3時間ほどで起きてしまうし、小説はと試してみても全くもって脳内にイメージが流れてこない。今月の初めくらいからのことで、先々週のゼミには自分でも酷い出来だと思う文章を先生に渡さなければならず、そのことでゆっくりとお説教をされ──怒鳴ったりぴりぴりした空気を出さないから、ゼミの先生があのおじいちゃんでよかったと思っている──挙句、自分でも解読不能な文章を、先生に解読してもらう始末。なぜ書いた私よりも内容を理解しているのかと、本気で首を傾げたし、感動した。
小説も読めない、文章も書けない、といった現象に見舞われるのは記憶にある限り初めてのことで、じゅうぶん戸惑ってはいたのだけど、ゼミの先生が「みんなそうなる」と言うからそういうもの──あるいは時期──なのだと重く受け止めていなかった。
けれど。
おかしいかもしれないと、ようやく思い始めた。
最近のお気に入りはおにぎりを朝、というか昼のご飯に握って食べること。お椀の縁に沿って敷き詰めたご飯の中にたらこを皮から削ぎとって、お米で包んだあと少しだけ塩をまぶして握る。その、塩を使ったまま、ふたを閉め忘れるのだ。おにぎりを頻繁に作るのは今が初めてじゃないし、普段からよく料理中に塩は使うけれど、こんなに毎回、調味料のふたを閉め忘れるなんて今まで一度もなかった。なのに、ほぼ毎回なのだ。おにぎりを作ったあと、毎回閉め忘れて、その日の夜か翌日あたりに、閉め忘れていたことに気づく。そんなことを、もう何回も繰り返している。
…病院に行くべきだろうか。
少し逡巡する。
でも、なんて言えばいい?「塩のふたを閉め忘れるんです」って?なんだか間抜けな感じがする。