2019年10月20日

指先が痛い。
右手の中指の、指先と爪の先の間の溝が、ぱっくりと割れて血が滲んでいるのだ。数日前から。手荒れは鬱陶しくて面倒くさい。自分は異常に傷の治りが遅いのかもしれないと、気づいたのは最近だった。耳たぶのピアスが、たまたま外れてしまった時。もうすぐ開けて1年になるのに、ピアスホールから血が滲んでいた。しんじられない、と思った。

先週の火曜の、ゼミの先生とした話を、時々断片的に思い出している。
好きな人とかいないの。私は他人に興味が無いらしいんです、先生に驚かれました。何でそんな話になったの。ええと……ああ、そう、「殺したいほど嫌いな人とかいませんか」って、先生が。嫌いな人はいなくても、好きな人はいないの。…うーん。一日中その人のことしか考えられなくなる、そういうのないの。…ない、ですね…他人にそこまで傾けるエネルギーに、見合うだけのものを見い出せないというか。…コスパ。ああ、そう、それです。そういうのは年寄りの発想だよ。えぇぇ。
ゼミの先生にはもう、何度か「発想が古い」「それは年寄りの考え方」「17世紀くらいの人間」等々、言われている。その一方で。「恋とかしないの最近の子は」「他人に興味が無いとか、最近の子に多いんでしょ」等々言われたりもする。私は一体いつの時代のどの世代に生きれば良かったのだろうと思う。…いや、それはどうでもよくて。
…恋。
好きな人はずっとそばにいます、とは言えなかった。説明が面倒くさい。普通の人相手であれば「私も普通の人ですよ」というフリをするために、そんなことは言わないのだけど、ゼミの先生に対してはもう、純粋な面倒くささが勝っている。先生は一から十どころか、一から百まで説明させたがる人だと思う。
……恋。
コスパ。その一言に尽きると思う。まず、相手から思われても応えることができないこと。私は向けられるその好意に対してすら、無駄に疲弊すること。その時点でもう無駄なエネルギーが二人分も生じている。そして、私が仮に実体を持つ人間を好きになったとして。不毛だと思うことは、ほぼ確定だと思う。人は認識の世界からは出られない。みんな自分の認識の世界に生きている。だから、他人を完全に理解することはできない。それでも分かり合いたいと思う、ものなのだろう。少なくとも私はそう思っている。相手の全てを知って、理解して、欲しいと思うこと。それを恋というのだろう、よく分からないけれど。手に入らないとわかっているのに渇望すること。これを不毛と言わずに何と呼ぶのか、私は知らない。
………恋。
影と過ごす日々は、穏やかで、ぬるま湯のようなものだと思う。影は私の一部でもあるのだ。つまり、彼は私と同じ認識の世界に生きている。手に入らないことなんかない。なにも。時々、何も知らない人に言われる。「寂しくないの」と。どこが、と思う。私にはよくわからない。幸福だ、と思う。満たされている、とも。幸福がなにかはよく分からないけれど。寝起きの微睡みのような、あれを幸福と呼んでいいのなら。私はたぶん、幸福なのだ。彼がいる限り。