2019年3月2日

親戚の、祖母のお姉さんにあたる人が、癌で肺炎で認知症でもう長くないと聞いて、お見舞いに行った。お父さんと、弟と。毎年夏と冬に2回会っている人。年越し前の冬に会ったとき、そこまで認知症が進行していた覚えはないのに、もう私たちが誰か分からないかもしれないという。
認知症の人が末期の癌である場合、抗がん剤治療はしないのだそう。自分が癌であることも忘れているから、ただ訳もわからず苦痛が続くだけなのだとか。QOLの発想だと思う。クウォリティー オブ ライフ。命を伸ばすよりも、生きている時間の質を優先する。健康寿命とかもそう。
…そんなことを、考えながら病院に行った。
今日か明日か、医者にそう診断されたと聞いて慌てて行ったわりに、おばさんは元気そうだった。否、冬に会ったときよりうんと痩せていて、鼻には酸素のチューブを付けていて、元気ではまったくないのだけど。でも、今にも死にそう、には見えなかった。数分おきに同じ話を繰り返し、私や弟が誰かわからない素振りを見せていたかと思えば、はっきりと名前を呼んで話しかけたりもする。…天気予報の、早送りで見る雲の動きみたいだ、と思った。曇って、ちょっと晴れて、また曇る。おばさんの頭の中で何が起こっているのかはよくわからないけど、歳をとってからボケるのは、脳が限界を超えたがゆえのバグだと聞いたこともあるから、壊れかけのパソコンみたいなものなのかもしれない。
おばさんは、ベッドから半身を起こして、よく喋って、笑っていた。いつも遊びに行ったときと同じように、飲み物は、お菓子は、と気を遣って、私と弟を認識したときにはお小遣いまで渡された。いや、そんな場合じゃないよ、ぜんぜん。喉元まで出かかった。でも自分がなぜ入院しているかさえ忘れている状態のおばさんに、何が言えるだろう。貰えない、と言ったとして、祖母に「きっと最後だからもらってあげて」と言われるのは明白だった。
思ったより元気だった、意識のあるうちに話せただけいいよ、帰り際にお父さんとそんな話をした。

ついこの間、お店に店長の奥さんが来た。初めて見た。かなり若かったし、ギャルっぽかった。店長に奥さんがいることもそのとき初めて知ったけれど、奥さんがいるとわかって、自分が何も思わないことに自分で動揺した。
あの人にどこか似ていると、そう思っていた時期が確かにあったのだ。あの人と歳が近いせいもあるけれど、そうじゃなくて、雰囲気みたいな何かが、あの人を思い出すと、そう思っていたのだ。
それなのに、なにも──ほんとうに、なにも──思わなかった。なんの感慨も。奥さんがいたことへの多少の驚きと、奥さんが予想以上に若く、そして派手だったことへの驚き。それだけ。
どうして? 店長は、あの人に似ていると思っていたはずで。私はずっと、あの人のことが好きで。私の中心には、ずっとあの人がいて。なのに、どうしてなにも思わないのだろう。
──るりちゃん。
久しぶりに、あの人の陽炎が揺らめいて見えた。

バイトの、就職してやめていってしまう人たちの、送別会があった。ボスが行くなら行く、そんな他人任せの返事をしたのに、ほかの人たちは心得ているとばかりに笑った。
生活リズムが崩壊しているせいで変な時間に起きてしまい、日中はお見舞いに行っていたから昼寝もできず、吐き気と格闘しながらバイトを終えて、そのままお店で送別会に参加した。
就職していってしまう人の一人で、バイトの中でいちばん可愛い子──個人的にいちばん好みの子──の正面を陣取り、リクエストしたものを嬉しそうに食べるその子を見ながら薄めのお酒を飲む。やっていることは完全におっさんで、外見が女子大生だから許されることである。これで内も外もおっさんだったなら、ただのセクハラだ。女子大生ばんざい。
集合写真、人狼ゲーム、その他自由にふらふらと、席がなんだかんだで変わっていくうちに、私の癒しである天使は正面ではなくなってしまったけれど、どの角度から見ても天使は天使だった。もう、可愛いしか言ってない気がする。ただのセクハラだった。女子大生ばんざい。
空が白んでいくのは、わりと見慣れた景色だった。否、見慣れていいものでは決してないのだけど。でもここ最近そんな生活を送っていたのだから仕方ない。
朝日に照らされた、人けの少ない繁華街を駅まで歩く。けれど、街よりもお店の中の方が、新鮮な感じだった。朝日に照らされる時間、普段は店内に人がいることはないのだ。夕日とは真逆の方向から入る白い光は、全く似合わないことを気にもせずに、店内に押し入って来た。もうほとんど、強盗のようだと思った。もしくは、梶井基次郎の『檸檬』。
夜の間ずっと吐き気と戦っていた私はというと、活動時間を優に24時間超え、一周まわってむしろ快活だった。家に帰って眠りについたのは朝の9時、前日の深夜2時に目が覚めてしまってから、30時間が経っていた。