2019年2月11日

いやな思い出って、なかなか消えない。
思いだすだけで気持ち悪いのに。
もう二度と、見たくもないものを、ゴミ箱にがこんって捨てて、そうしたらそれは、私の知らないうちに回収されて、燃やされて、それっきり。そうだったらいいのに。記憶も、いらないものは簡単に捨てられたらいいのに。
悲しいこと、怒ったこと、いやだったこと、それら全部がイコールいらないものではないけれど。悲しいこともいらないものなら、あの人に関することも私にとっていらないものになってしまう。そんなはずはない。あれは、何より大事な、私の記憶。
けどべつに、生きていく上で必要もないのに覚えていることって、沢山ある。ゴミみたいに、はいさようならってできたらいいのに。

たとえば、中高で一緒だった男子のこと。中学では仲がよかったのに。高校になって、嫌いになってしまった。決定的な何かがあったわけではないし、むこうが私の友だちを困らせていると知るより前に、私はその男子を何となくきらいになっていた。
…アレルギーみたい、と思う。摂取しすぎると、身体が拒否反応を起こすようになる。身体の中にはそれ専用の受け皿があって、受け皿の容量を超えると受け付けなくなる。受け皿の大きさはそれぞれだけど、きっと私の中のその男子専用の受け皿は小さかったのだと思う。
……彼の、彼専用の受け皿は、存在するのだろうか。今まで一度も、彼を嫌いになったことはない。彼がずっと同じ姿をしていられないのは、ただ単に私が移り気なだけだ。

ときどき思い出す、仲の良かった男子のこと。
中学卒業で遠くに行ってしまった。連絡先は知っていたし、ずっと仲がいいままでいられると思っていた。会ったり電話したりする時間は取れなくても、メッセージをやりとりするくらいは、できるのだと。でも違った。既読がついてから3日経っても1週間経っても、返事はこなかった。二度と顔を合わせない可能性が内在する離別は、そこで「友だち」じゃなくなるのだと思った。
ときどき話してくれたらそれでよかったのに。なんで構ってくれなくなったんだろう。もう全部、終わったことだけれど。