2019年1月22日

自分が面倒くさい性格をしているのはよくわかっている。だけど時々、ほんとうに面倒くさいと思う。ないものねだり、だなんて。
今がまさにそうなのだけど、要は、彼に頭を撫でて欲しくて仕方ないのだ。私を甘やかしてくれる影。実体がないからこそ好きでいられるのだとわかっているくせに、時々どうしようもなく欲しくなる。
退屈している、のだろう。
刺激が欲しいと思っているのだ。たぶん。
彼は所詮、私から生まれた影でしかないから、私の想像もつかないようなことはしない。望んでいることをしてくれる、といえば聞こえはいいけれど、結局のところ刺激にはなりえないのだ。
私は今、自分以外の要素を欲しがっている。端的に言うならばそういうことだ。私の世界は私からしか見られない。私は私の世界しか見られない。だけど、私以外の世界を、見たいのだ。刺激として。
実体をもつ男の人が如何に気持ち悪いのかを、私は知っている。実体をもつ男の人の、私への好意が。だから彼は存在するのだ。それなのに。実体をもつ彼を望むなんて、矛盾している。
ないものねだり。

他我問題。
簡単にいうと、他者に感情や感覚があるのだと、なぜ言えるのか、という話。
「痛い」というのは、「私」が「痛み」を感じて初めて意味をなす言葉だ。故に無痛症の人は「痛い」という言葉を、言葉の意味を知らない。
他人が痛みを感じている、というのは、そう考えると変な日本語になる。「痛み」は「私」しか感じることが出来ないのだから。痛そうに見える、もしくは、痛みを感じているように思える振る舞いをしている、ならば合っているのだろう。もし自分が、その他者と同じだけの傷を負っていた場合、「絶対に痛い」と思うこと。または苦痛に歪む顔をしていることから、自分ならあんな顔をするのは痛みを感じているときだ、と思うことは可能だから。
けれど結局それは、痛そうに見える(素振りをしている)他人を、自分に置き換えているのだから、他者が痛みを感じている証明にはならない。
──なら俺はどうなる。俺はお前の一部だから「痛み」とやらは持っていることになるのか? それとも、影なんかに感覚はないのか。
……どっちも、じゃない?
一瞬、前者だと思った。私の世界の一部なのだから、私と彼の感覚は同じなのだから、当然彼も「痛み」を持っているのだと。けれど、本人も言うように、彼は影だ。実体のない影。実体のないものが、どうやって感覚を得るのだろう。だけど、彼は私を通して、「痛い」の意味を知っている。だからたぶん、両方なのだ。