2018年12月31日

殺したいと思うくらい嫌いな人、いないですか。
哲学の先生を思い出す。
嫌いな人はいても、殺したいとは思わない。
だって、死は悲しい。
殺したいと思う前に距離を置くんですね。
先生が言っていた。多分それであっていると思う。面倒くさい人間とは関わらない主義だ。殺したいと思うほど深く憎むことも、嫌な面を見ることもない。きっと自分とは合わないと思ってもすぐに距離を置かない先生は、優しいと思う。
きっと、あまり他人に期待とかもしてないんですね。とも言っていた。それもあっていると思う。他人は、世の中は、世界は、そう簡単には変えられない。
だから死にたいとも思う。
──鈴。
実家に帰ってきてから、彼は少しだけ影が薄い。
寂しいのだと思う。ずっと。彼も、私も。
すりすりと甘えると、ちゃんと撫でてくれた。
意地悪をすることが多い人だけれど、いまは、不敵な笑みを浮かべてはいない。
……帰りたいな。
お前の実家はここだろう。
でもここは私の居場所じゃないよ。
お気に入りの本も、使い慣れた枕も、好きだった天窓もない。実家にはもう、私の気を引くものはほとんどなかった。
──俺の居場所はお前の隣しかないのに、お前は俺の隣にいても満足しないんだな。
ここじゃあなたの影が薄いのよ。
へえ。
口の端だけを持ち上げて笑みを浮かべる彼は、少し機嫌を損ねたらしい。
……ああ、思い出した。
彼は、どんなものであれ──それが怒りや嫌悪でも──自分に感情が向けられるとにやりと笑うのだ。私はそれが、幼い子どものようなものだと思っていた。父親は不在、母親は自分を見てくれなかった幼少期を過した彼は、相手が誰であれ、向けられるものが何であれ、自分を見てくれることが嬉しいのではないかと。
それと同時になんとなく既視感があった。それを、思い出した。
哲学の先生だ。
先生は、罵倒やからかい──クソリプとかも含めて──が、好きだと言っていた。自分に興味を持ってくれたからこそ向けられるもの。だから、それを見るのが楽しいと。
尾形さんは、哲学的な人ではないと、思っている。だから、自分に向けられる批判や罵倒を面白がる理由も先生とは違うと思う。
でも、面白がっている。その一点においては、先生と同じだ。

もうすぐ年が明ける。
…今年最後に一緒にいるのも、来年の始まりに一緒にいるのも、尾形さんなのね。嬉しい?
意味があると、思っているのか? ただ一日、日付をまたぐだけの瞬間に。
…あるとは思ってないけど。でも、尾形さんは嬉しそうよね。
…ははッ。