2018年10月11日

たくさん寝たのに、ちっとも頭がすっきりしなくて。ずっとぼんやりしていて、眠くて、なんとか学校に行って講義で扱う資料を読んだけれど、途中の単語だけが頭にひっかかって。
生命倫理と環境倫理の話をしている。
後期から始まった、私の好きな先生のこの講義は、この講義自体のテーマが生命倫理と環境倫理なのだ。つまり、先週も先々週も、同じような話をしている。それなのに、今日だけ、やたらとひとつの単語だけが飲み込めなくて、ひっかかって、のどに刺さった魚の骨みたいに、それだけにしか意識が向かなくて、頭の中に除草剤でも撒いたみたいにほかのことが考えられなくて。
「脳死と臓器移植」。
現代の発達した技術によって、昔なら死んでいたはずの人が、呼吸のみをする生命体として生きながらえることができるようになってしまった。動かない、喋らない、目も覚まさない、意識もない。それでも生きていると、言うのか否か。ついでにもうひとつ言うと、心肺停止ではないので体内の血液循環などは行われ、臓器は新鮮な状態を保たれる。つまり、臓器提供を待っている多くの人たちに臓器移植をすれば、ひとりの身体から取り出された臓器たちで複数の人が助かることになる。
でも、生きてる人を殺して臓器を取り出すのは倫理に反する。たとえそれで助かる命の方が多いとしても。だから、健康体の人から本人の意思なく臓器移植を行うことはない。でも、脳死の人は? あれは、生きていると言うの? 本当に? 呼吸のみと言っても、その呼吸さえ機械にさせられている状態の人もいるのに。
だいじな人が、脳死と言われたら。
──……もう起きないの? ずっと?
名前を呼んで。
頭をなでて。
笑いかけて。
……それがもう叶わないなら。
この件に関しては、少なくとも今、私に理性的な判断はできない。今日はなんだか頭がぼうっとするのだ。私なら。私の望みは。ただのわがままだとわかっている。普遍的な考えであるべきではないのは、わかっている。それでも。……もう撫でてくれないなら、いっそ、殺して。彼も、私も。
来るかもしれない、でも来ないかもしれない、そんな「いつか」を待ちながらずっとずっと待っているのはつらすぎる。それなら、いっそ。
なんでこんなことばかり考えるのかわからない。ただ、今日の精神状態が危うすぎることだけはわかる。まるでハンプティ・ダンプティみたいに。危ういバランスを保っていて、ほんの少し指先で押すだけで簡単に崩れて、砕け散ってしまうような。
あぁ、泣きたい。