2018年4月11日

哲学の講義だったか、演習だったか。先生の話が退屈すぎてずっとうとうととしていたからよく覚えていないのだけれど。ふと目が覚めた時に、結婚相手の条件の話をしていた。
ケッコン。
寝起きの頭ではうまく漢字変換ができなかった。なぜそんな話になったのだろう。
ケッコンアイテ。
学生の一人が先生に聞かれていた。条件を3つ挙げて、と。
彼が、机に腰掛けたまま退屈そうに窓の外をみていた。
ケッコン。
無縁な話だとおもった。私には、関係のない話。
どうせ誰かを愛せはしないのだ。今更そのことについてなんの感慨もないけれど、もし先生に当てられたらなんと言おう。
少し困ったけれど、私は当てられなかった。

死ねばいいのに、と思う。
タバコの匂い。薄暗い照明。窓の向こうのネオン。今日はカウンター席に人がいて、彼の姿がない。
殺してほしい、と強くねがう。
自分がなにに苛立っているのか、悲しんでいるのか、よくわからなかった。ただ、死にたいと思う。
睡眠時間がすこし足りなかったのかもしれない。
授業中わりと寝たんだけどなあ。

夢うつつの授業の中で、先生が言っていた。他人の感情に共感できるのか、全く同じ感情を共有できるのか、共有できないとすれば共感できないのではないか。
何をいまさら、と思う。
ひとは、他者の感情を理解はできても共感はできない。まったく同じものを持っている人達なんかいない。でも、現実社会に「みんな違ってみんないい」みたいなものは無い。ある程度同じでなきゃいけない。でなきゃ世界は回らないから。だから、できるだけ伝える努力をするし、分かろうとする努力をする。言葉をつかって。
ケッコン、の講義と同じ先生だった。同じ講義内だったのか、別の講義だったのかは覚えてない。
淡々と同じ口調でしゃべり続けるおじいちゃんの先生で、ひどく退屈だった。

新しいバイトは何も苦じゃない。今のところ。ただ、ずっと店長の声が苦手だ。面接のときからずっと。嫌なことを思い出す。店長が悪いわけじゃない。お店の人たちはみんな優しい。
ただ、死にたいと思う回数が増えた。
なぜあの時死んでしまわなかったんだろう。あの人が死んだと知ったとき。どうしようもなく悲しくなったとき。何もかもどうでもよくなったとき。
心の底から死にたいと思うことはあったのに。なぜ死んでしまわなかったんだろう。
だれにも迷惑をかけちゃいけない。ちゃんとしなきゃ、と思う私が現実に縛りつけようとする。ちゃんとなんてしたくないのに。でも、逃げられない。
ちゃんとしなきゃ、と思うのも、死にたい、と思うのも、結局は私だから。
ちゃんとなんてしたくない。彼がいないと生きていけない私、がいい。でも、彼はどこにもいないから、私はいつまでたっても"なりたい私"にはなれない。たったそれだけのことが、悲しくて、苦しくて、寂しい。
死んでしまえたらいいのに。