2018年4月9日

哲学演習Bは戦争倫理をやるらしい。
正義とは。善悪とは。正当化される戦争。戦争を許容することはできるのか。戦争のための法。etc…。
戦争と聞くと、京楽隊長の言葉を思い出す。
「戦争なんて始めた時点でどっちも悪だよ」
喧嘩両成敗、的な意味ではないと思っている。たしかに戦争中は両方が相手方の命をいくつも奪う。どちらかだけが悪いということにはならない。ただ、そういう意味じゃなく、戦っている人たちは彼らなりの正義のもとに行動している。だから、一方から見れば、もう一方は悪になる、のだと思う。
争いなんて無いのが一番だけれど、そんなものは無理。放っておけば人は自分の利益のために他を犠牲にする。だからお互いを傷つけないという契約の中で生きよう。ホッブズは正しいと思う。

薄暗い店内の、お洒落なカウンター席に、彼はよく座っている。和風な内装に、日本酒だらけのお店に、高級感のない空間に、帽子をかぶったままの彼だけがぽつんと浮いていた。彼が手元で揺らす琥珀色の液体が何なのか、お酒に詳しくない私には分からない。
時折カウンター席を見遣ると、こちらを見た彼が目だけで、ふ、と笑う。
お店の雰囲気にちっとも似合っていないのに、ひどく様になっていた。

ちょっと前に私がカレーを作りすぎたことについて、昨日すこし話をした。「カレーの歌。ボカロの、初音ミクの、」うろ覚えな言葉をそのまま単語で言われて、なんのことか分からなかった私は、しばらくの間、ボカロにカレーのレシピを歌った曲でもあるのかと本気で思った。材料を切って、火を通して、煮て、ルーを入れて、ちょっとだけ隠し味も…そんな歌詞を本気で思い浮かべた。絵描き歌みたいに。
なんのことか分かったときは、しばらく笑いが止まらなかった。曲名は「アストロノーツ」。歌詞の一番初めが、「もしも僕が今晩のカレーを、残さず食べたならよかったのかな」。
たしかに私は作ったカレーの大半を自分では食べなかったけれど。
その曲をテーマにして書かれたあの人の小説では、彼女はカレーを捨てて作り直していた。あの人に、一口も食べてもらえなかったカレー。でも、作り直している途中であの人は消えてしまう。
「彼女は大丈夫だ。きっと、何度でも立ち直る。」
そんなふうに、安心して行ってしまう。
どうすればよかったんだろう。部屋の隅でうずくまって拗ねていれば、あの人は心配してどこにも行かずに居てくれただろうか。
わがままでいい。ひどい人と言われてもいい。あの人がずっとそばにいてくれるなら、何だってするのに。

この人はいつか大人になって、仕事をしたり、結婚をしたり、人間らしい生活を送っていくのだろうな。私にはできない未来を生きて。
誰と話していても、そう思うことがある。
私がいない先で、その人の生きる未来を想像する。
自分には絶対にできないことだと思っている。自分のことは自分が一番よく分かっている、なんて陳腐な言葉が、簡単に覆されることは知っている。今の私が絶対にないだろうと思っている選択を、未来の私が選ぶかもしれないと。ありえないとは言いきれないこと。
だけど、彼がいる限り、私は"普通の人"として普通に暮らしていく選択肢を、自分に許さないと思う。
死ねばいいのに。
他人事のように思う。空を見て青いと思うのと同じくらい当たり前に、自分のことを嫌いだと思う。それでいて、どこか遠い、どうでもいいことのように。呪いの言葉の矛先は自分自身なのに。