2018年7月18日

性犯罪者にGPSをつけるというのが、どこかの県で可決されたらしい。どこだかは忘れた。細かいところも知らない。体に埋め込んで着脱不可にするのか、付けなさいと言うだけでしっかり管理まではしないのか。
それはさておき。
人権侵害、という意見がある一方で、素晴らしいと賞賛する声もある。
確かに人権侵害である(プライバシーとかそのへんの関係)ことは否めないのだけど、もともと犯罪など犯さなければそんなことにはならないわけで、再犯の危険があるからそういう措置をとらされるわけで、絶対にもうしないと万人に明確に証明出来ないのであれば、致し方ないのでは、とも思う。
──カント(だったはず)は最高の善人は「悪いことは、悪いことであるからしない」という人だと言った。罰せられるから、とか、罪悪感が、とか、その行為に付属する二次的効果ではなく、その行為そのもので判断する人。(同じ理由で、最高の善人は「良いことは、良いことだからするのである」とも言った。ご褒美とか、自己満足から来るのではなく、良いことだから無条件に行う人が最善だと。私はそれが嫌い。)
──体罰は最も愚かであり、言葉で伝わらないのは指導する側の問題である、みたいな発言をみかけた。
まずひとつ、体罰としつけ(教育)とは区別されるべきで、それが難しいところでもあるのだけど、親(場合によっては教師)から受ける暴力の全てが悪に通じるわけではないということ。
で、私は親あるいは教師から受ける暴力は全て正しいなんて言うつもりはないのだけど、もちろんないのだけど、全てを禁止すると、言っても聞かない阿呆が野放しになりちょっと困った世の中になるのはたぶん想像に難くないということ。子どもの頃は「これをやったら叩かれる」という発想からであっても、大人になってからちゃんと悪いことだと理解できることもある。たぶん。言ってもわからない奴は大抵の場合、直す気がないか、自分で自分を律することができない奴か、だ。その場合は、たとえ暴力による服従であっても従わせるほうがいい。あとからきっと理解できるようになるから。(理解できるようになると思いたい。)
──性犯罪者のGPSの話に戻る。
ちょっと似通ったところがあるな、と思った。体罰の話と。性犯罪者なんてのは(大半の犯罪はそうだけど)、脳が正常に機能してる人間ならだめだと理解出来ることだ。今まで一度も怒られたことがなくたって。でも犯してしまった。それは、たとえ暴力による服従であっても従わせるべき2パターンの阿呆に他ならないと思う。
暴力も人権侵害も犯罪だけど、悪をもってさらなる悪を制す、と言えば響きはいいのだろうか、功利主義的にいえば、多数の幸福のために少数の犠牲を出す、といったところだと思う。