2018年7月15日

本当はお母さんが出掛けると言いだして、だからバイトの休みを取ったのだけど、ホテルの予約が取れなくてやっぱ無理と言われ、暇になってしまった3連休。
今さらだけどなにか誕生日のプレゼントをしたいと言う友だちに、化粧品選びをしてもらった。
……歩いている人たちを見て、好きな哲学の先生が言っていたことを思い出す。
──限界を目指して、努力する。ぎりぎりのところまで、しのぎを削る、それは確かに美しいと思うのですが……──。
……美しい? 人間の努力が? ……美しいって、なんだろう。
人を、人の行動のすべてを、美しいと思ったことはない。努力といわれるとどうしても、目をギラつかせて高みを目指す、下手をすれば他者を蹴落とすことも厭わないような、そんな熱意をイメージしてしまう。あるいは、汗だくで練習を繰り返すスポーツ選手。…どちらも、私の中の「美しい」の概念と一致しないのだ。
……他者の全てを理解しようとする必要は無い。どうせできないのだから。理解できないならできないで、そのままでいい。そう、わかってはいる。ただ、あの文脈の中で先生の口から出た「美しい」という単語が、あまりにも不釣り合いで。
──美しいもの。
なんだろう。
きれいなもの、とはまた別だろうか。
きれいなものは好きだ。
石。
ガラス細工。
西洋人の、透き通った淡い色の目。
夜景をきれいだと思ったことはない。
星空はきれい。
月も。
美しいとは、違うのだろうか。