2018年4月6日

夢に彼が出てきた、ような気がする。
夢の中の人はほとんど、大抵いつも顔が分からない。顔が分からないのに、誰だか分かっているふうに、進んでいく。
ときどき夢に出てくる"彼ら"は、隣にいるのが当たり前のような感じがして、私はいつも「好き」の一言すら言えない。
夢だと疑うひまもない。
自分が夢を見ていると、眠っているときに気づいたのは一度だけだ。お気に入りのメガネを失くした数日後。明晰夢。
夢の中で、隣に彼がいて、それが夢と気づいたら私は、なにを願うだろう。
醒めたくないと思えば、ずっと眠っていられるのだろうか。

今日は何もうまくいかない。
手続きをしようとした学費の書類は、手元に保険証がなかったせいでできなかった。雨が降っていると思って傘をさせば雪で、雪ならばいらないかと傘を閉じればみぞれに近かった。バイト前に食べようと開けたパンは、半分も食べずに飽きてしまった。

「好意を注ぐのは勝手だけれど、そちらの都合で注いでおいて、植木の水やりみたいに期待されても困るの」。最近読んでいる小説に出てくる女の人は、ひどく自由だった。自由で孤独。それくらい潔く、誰かの好意をばっさりと斬ってしまえたらと思う。少しうらやましかった。私にはきっとできない。
何をするにもエネルギーがいる。
人になにか、思っていることをはっきり言うとき。相手を傷つけたり、困らせたりすると分かっているときはなおさら。
主張することを、申し訳なく感じているのだろうか。
自分に価値を見いだせないせいかもしれない。

きのう本当は、バイト先の先輩に同世代の男の人がいることに少しぎょっとした。今までは女子しかいなかったから。
恐怖症、というわけではないけれど、私は男の人のことを面倒くさく感じている気がする。自意識過剰、ではない…と思う。自分が一目惚れされるような容姿でないことくらいは知っている。ただ、"女"として見られるのが嫌なだけ。
昨日いた人は彼女さんがいるらしい。表情筋が緩むのがわかった。全員に彼女さんがいればいいのに。

歳をとっていく。
月島くんも、最初は歳上だったのに。
中原さんはうんと大人にみえて。
あの人はすごく遠くに感じてた。
ウタさんの歳はわからないけれど、きっと20代くらいだから、やっぱりどんどん近づいてきてて。
中原さんとはもう、いっこ違い。そのうち私が歳上になるんだろうな。
あの人と同じ年齢になるなんて、想像もできない。できないけれど、いつかその時がくる。たぶん。そしてまた、あの人がいないことに悲しくなる。

外に出て月が見えたら、私はいつもそれを見ながら歩く。
いい月だねえ。三日月でも半月でも満月でも、同じことを言う。いい月だねえ、と。
彼は隣であきれる。いつも同じことしか言わねえな、他に何かないのかよ。
彼の悪態を私は無視して月をながめる。たぶん、私は月が好きなのだ。
それとも、"死んでもいいわ"とでも言った方がいいか? 俺はあの木偶の坊みてえな心中は御免だけどな。
ふん、と鼻を鳴らす彼に、私のこと好きじゃないの? とわざときく。なんでもないふうに。
…それとこれとは別だ。彼は、つんとそっぽを向いた。この前のことをまだ少し怒っているのかもしれない。
好きだったら、一緒に生きたいと、思うんじゃないのかよ。酷くさみしそうな声だった。
理解はできても共感はできない、と思う。私の一番の望みは死ぬことで、一番の幸福は好きな人に殺してもらうことだ。一緒に死にたいとは思わないけれど、一緒に生きたいとも思わない。
ごめんね。私が謝っても彼は何も言わなかった。
すい、と見上げた先に、下弦の月。
いい月だねえ。さっきと同じ調子で言う私に、彼がため息をついた。