2018年5月28日

武力行使は他者を守るためであるべき。
そうは言っても。
人は自分のためにしか行動できないでしょう? 危ない目に遭ったらとっさに、身を守るために反撃するでしょう? 誰かを守りたい。誰かのために武力を行使する。でも、それって、「誰かを守りたいと思う自分」のためにやってるだけじゃないの。結局は、自分のため。
親子とか、そういう親密な関係なら、親が子を守るとか、そういうのなら、ありえるのかな…って思います。そう言う人がいた。
それも、やっぱり、目の前で死んだりしたら嫌だ、見たくない、っていう自分の願望のためじゃないですか。もし目の前でそんなことになって、それで子どもの心まで守れたことには、ならないと思います。何を守るかっていうのも、大事だと思うんですけど、身体だけ、命だけ守って、心は守らないって、それは守ったうちに入るのかなって。大事だから守りたいって、結局自分のためじゃないんですか。
そう返すと、ああ、なるほど、とその人は引き下がってしまった。
私は、反論が欲しかった。
私の大嫌いな私を、ひっくり返して欲しかった。でも、誰も異を唱えてはくれなかった。
先生が、いくつか話をしてくれた。
PKO(Peace Keeping Operation…平和維持活動)とか、どう思う? ──世界的な平和活動で、日本も以前までは金銭的援助のみだったが、今は兵士も出しているらしい。死者も出ているとか。
なんとなく、神風特攻隊と呼ばれた人たちを思い出した。戦時中の、忌むべき、そして嘆くべき風潮。お国のために死になさい。彼らは、国のために死んだ、のではなく、国に、当時の風潮に、殺されたにすぎないのだ。逃げなかったのではなく、逃げ道などなかった。たとえ拒んでも、非国民だなんだと言われ、世間が許さない。拒んだところで、生きていくことなどできなかった。だから、泣きながら死んでいった。悲しいこと。忌むべきこと。あれが、利他的行為などと賞賛されていいはずがない。PKOの人たちがどういう状況に置かれているのか、詳しくはわからないけれど、もう拒んだところで非国民だなんだと罵られたりはしないのだ。危険が嫌なら、死ぬのが怖いと逃げればいい。自衛隊なんてやめてしまえばいい。逃げ道はあるはずだ。昔よりは。それでも逃げずに選んだと言うなら、それはもう、その人の責任だと思う。もし、犠牲になる自分に酔っているのだとしたら、それはただの自己満足だ。利他的なんかじゃない。
別の話もしてくれた。
じゃあ、子どもが川かなんかに落ちそうになってたのを、ぱっと反射的に掴むのは? あとから見返りが、とか気にして助けてないでしょ? 危ない落ちる、って子どもを助けるためにやるでしょ?
うーん……それは、反射であって、利他的でも利己的でもないというか。石につまずいて転んだ、とかと同じくらい、ただの出来事でしかない、と思います。助けよう、と思うよりも先に手が出てると思うので、意思が全く伴わない行動というか。
子どもを咄嗟に、危ない! と思って捕まえる感覚、机から落ちかけているペンを咄嗟に掴むのと似ている気がする。反射的。落ちる! くらいしかその瞬間には考えられない。パって掴んで、「あっぶねー」って言う。そんな感じ。ペンを掴むとき、たしかにペンが落ちないようにしよう、という意思はあるけれど、それが善悪とか、そんなことは考えてなくて、ペンを助けなきゃ、とか思ってるわけでもなくて。ただ、落ちる前に掴まなきゃ、くらいの反射。
でも、他者を思う気持ちがあるなら、それは他者のための行為としてもええんとちゃう? ちょっとでも利己的な部分が入ってたら、全部だめってそれはちょっと潔癖すぎん? 不純物がちょっとでも入ってたらそれはもう金じゃありませんて言われたら、どうしようもないやん。
…先生は、京都出身らしい。時々訛りがまじる。
潔癖。
なるほど。
そうなのか。
潔癖。
たしかに、金には不純物が混じっている。それでも、きらきら黄色に光る塊を、金と呼ぶ。
たしかに、動機のほんの一部に利己的な欲求が混じっていたとしても、利他的行為であるとみなしてもいいのかもしれない。ただし、その比率による。どっちがどのくらい多いのか。
……あの人は、利己的だったために死んだのだ。あの人の行動の中に、利他的と捉えられる要素は少なかった。遺される側の気持ちを考えて欲しかった。まるで、心残りも未練も、何もないみたいに。あんなふうに、笑わないで欲しかった。家族の復讐だって、死んだ人はそんなことを願ったりしないのに。何ひとつ、あの人の行為に利他的なものはなかった。
──ゆき。
彼が私の意識を引き戻す。
講義はまだ終わっていない。

月曜なのに、忙しかった。
今日なんなんですか。
げんなりして先輩に言うと、給料日あとらしいよ、と返ってきた。
給料出たからって月曜の夜からこんなにはしゃいでないで、はやくお家に帰んなさい。週末でもないのにこんなに来るんじゃありません。どこぞのお母さんのお説教みたいになる。
いまだの社員さんの名前わかんないんですよ。
あ、私もです。
2つ下の、可愛い顔の女の子と小さな声で話す。店長は店長──もはや名前を覚える気がない。串焼いてる人も名前はよくわからない。よくホールを手伝ってくれる、背の高い人も。あとついでに、さっき話したバイトの先輩も。
よくフード作ってる、ちょっと強面の人いるじゃないですか
あ、はい。
あの人だけは名前、覚えました。──さん。
──さん。
他はわかんないです。
ふふ。
忙しいけれど、料理の注文はそこまで多くなかった。大半の人が、最初にまとめて頼んであとはずっとおしゃべりしてる。おかげでキッチンは注文が途切れると暇になるらしく、手持ち無沙汰になった店長がときどきドリンカーの位置に立っていた。
あのテーブルの人、出会い系で初めて会ったらしいよ。
こっそりとそんなことを言う。
女の方が、男の方をイケメンって言ってた。イケメン多いって評判でやってみたけど、ほんとだった、って。あれ、イケメン?
笑ってしまった。ちらりとそのテーブルを見やる。女の人の方は多少メイクでごまかしていたとしても、そこそこ可愛い方だと思う。少なくとも私はタイプだ。でも、男の方は……。
…うーん…どうですかね…。
どういうのが好きなの? エグザイルとか?
あ、一人も顔わかんないです。バク宙してるイメージしかないです。
俺も顔わかんない。
イケメンかどうかなんて、好みじゃないですか? 主観的というか。少なくとも私ならイケメンに分類はしないですね。
店長も笑った。三次元のイケメンはわかりません、とは言えなかった。ただ、彼は隣でどこか誇らしげな顔をしていた。そうだね、あなたはイケメンだと思うよ。心の中で彼に言った。