2018年5月22日

その話にいずれたどり着くんだろうなと思って聞いていた哲学の講義。今日、案の定、憲法9条の話をしていた。
今まで、安倍さんは日本も戦争に参加できるようにしたがってる、くらいのイメージしかなかったけれど、先生がもっとちゃんと説明してくれた。
そもそも憲法9条の内容は、ひとつ、日本は国際平和を求め、戦争や威嚇を含めた武力行使などの手段を放棄する。ふたつ、一つ目の項目のため、陸海空軍、国の交戦権を保持しない、というものだ。ひとつめの項目も微妙だけれど、ふたつめの項目は現状の日本と完全に矛盾している。要するに、すでに日本は違憲状態にある。
世の中の人の大半はふたつめの項目の「交戦権」の部分に目がいっているみたいだけど、すでに違憲状態の今をなんとかするために、安倍さんはふたつめの項目を削除しようと言い出した。
閑話休題。
戦争の三つの立場の話。
ひとつめ。戦争は絶対だめ。どんなことがあっても武力は持たない。抵抗の手段としても武力行使はしない。つまり、攻撃をされたらタコ殴りにされる。
ふたつめ。自衛や紛争鎮圧など、消極的ではあるけれど、必要最低限の武力は保持する。正戦論はここ。
みっつめ。戦争に正義も悪もない。国にとって最も有益な手段となり得るなら、戦争もあり。でもむやみに相手国の国民を殺したりしない、などのルールは守る。
アウグスティヌスは『神の国』という著作の中で、地上に完全な平和は存在しない、と言った。完全な平和、とは全世界が武力や暴力による支配を捨て、協調を選んだ先に訪れる平和のこと。そんなものは存在しない。その通りだと思う。みんなで手を取り合ってキャッキャウフフの世界は、たしかに理想といえば理想だけれど、ちょっと気持ち悪い。
理想は理想でしかない。
実現はできない。
完全な平和は、ただの理想。
そこに向かって努力することはもちろん必要だし、大切だけど、たどり着けると思ってはいけない。
憲法9条の話に戻る。
憲法9条は、この理想としての完全な平和を法律として組み込んでいる。実現不可なのに。戦争をめぐる3つの立場のうちの、ひとつめ。どんなことがあっても武力は持ちません。日本の法律は今、それを守れと言っている。
つまり、日本が万が一他国に攻撃された場合、無抵抗に滅びることになる。法律を、憲法9条を守るなら。自衛隊を持ってる時点で、破ってるけれど。
そもそもの問題は、実現しないと哲学者なら誰でも知っている──よく考えれば素人にもわかる──ただの理想が法律として掲げられていることにある。守れない法律は絵に描いた餅だし、無理難題を言われても今さら日本は戻れないところまで来ている。違憲だから、じゃあ自衛隊をなくしますか? なんて言って、賛成する人がいるだろうか。それで生活している人さえいるのに。
安倍さんは好きでも嫌いでもないけれど、横顔ポットだし、でも、何やってるのか、何しようとしてるのか、なんとなく分かって楽しかった。