2018年5月18日

演習発表の資料作りやばい。
最近大学の友達にはそれしか言ってない気がする。実際、やばい。何がやばいって、何言ってるのかわかんないのがやばい。まとめも上手くできない。
アウグスティヌスの正戦論。正戦論は聖戦論とも書く。戦争やってる時点でどっちも悪い、「正」とか「聖」とかふざけんなって思う。でもそれよりも何よりも、アウグスティヌスが何言いたいのかよくわかんない。一々キリスト教持ち出すのやめてほしいけど、アウグスティヌスはキリスト教の司教だから仕方ない。仕方ないけどやっぱり読みづらい。神ってなんだ。そんなふわっとしたもの居てたまるか。こちとら石にも木にも川にも神がいる八百万の神の国だぞ。舐めんな。一人で勝手にキレながら資料を読んでいる。
戦争反対、そういうのは簡単だけれど、そう単純な問題じゃない。もちろん、私も戦争は悪だとは思う。国同士の争いなんて、国のトップだけで殴り合いでもすればいいのだ。国民を巻き込むな。でも、現実はそうはいかない。相手がナイフを持ち出すならこちらも武器を、と思うし、話し合って決めましょう、なんて呑気なことを言っているすきに銃で撃たれて殺されてしまうかもしれない。「せーの」でみんな一斉に武器を捨てられたらいいけれど、人間の心理的にそれも難しい。ほぼ無理に近い。じゃあ戦いは無くせないとして、それでも武器を持たない主義を貫こうとしたら、それは見方を変えれば命を差し出しているのと同じだ。攻撃されても武力行使はしません。つまり、暴力での抵抗はしません。自衛もしません。タコ殴りにされます。それだと国が終わってしまう。
抵抗の手段として武力は必要だとする。じゃあ、どの程度まで必要? 向こうが殺す気で来るのなら、こちらもそれ相応の力が必要になる。武力。暴力。殺傷能力。そうして敵を殺していくうちに、敵国からすればこっちの兵士は悪者になる。よくも殺したな。そっちが攻めてきたんじゃないか。そうしてみんな、悪者になる。
人は、殺傷能力を高めた武器ではなく、いかに無傷で人を無力化するかを極めた武器を作るべきだったのに。たとえば、実弾じゃなく麻酔銃。街中で暴れる動物を眠らせて山や森へ返すように、戦いが終われば兵士を国へ帰れるようにすべきだった。たとえば、広範囲の爆弾じゃなく巨大な網。蜘蛛の糸みたいにベタベタで動けなくなる大きな網を、たくさんの敵兵のいるところへ発射する。一気に戦力は削がれるけれど、誰も死なないように。
そんなものを作ることに、尽力すべきだったと思う。いかに殺すか、傷つけるか、じゃなく。いかに無傷のまま無力化するか。
軍服が格好いい? 勲章は憧れる? たしかに格好いいよね。軍服を着ている男の人(ただし、イケメンに──)を見るのは私も好き。だけど、格好いい、とか、憧れる、っていうのは人を殺す理由になる? どのくらい兵を捕まえたか、いかに平和に戦いをおわらせたか、そんな理由でもきっと、格好いいとか憧れの欲求は満たせるはずなのに。

そんなことを言って。
平和ってだいじ。
人を殺したらそれで悪だよ。
死は悲しい。名誉とか、そんなものはいらない。美化なんてしなくていい。自己犠牲なんて、ただの自己満足だよ。死に、意味を持たせる必要は無い。ただひたすら悲しいものでなくちゃいけないし、だからこそみんな死を恐れる。
そんなことを言って。
……本当は、顔も知らない地球のどこかにいる億万の人たちなんてどうでもいいくせに。
心のどこかで、ずっと冷笑している。
だってあの人は死んだじゃない。
"彼ら"の中の誰かがまた死ぬとして、私には何も──本当に、何も──できないじゃない。
泣いているのか、笑っているのか、よくわからない私が言う。
私には、大好きな人を守ることすら、できないじゃない。これ以上、何を考えたって無駄でしょう? 私にとって一番大事なものは、私のあずかり知らぬところで勝手に消えるかもしれないのに。これ以上に重要なことって、他にある?

忙しかった。
8時くらいから、ずっと。
さすが金曜日。
居酒屋のお店に来てから、初めて「疲れた」と思った。でも苦ではない。頭の中は次にどう動くかでいっぱいで、今日はずっと彼はいなかった。寂しかったけれど、でも、それだけ。彼がいなくてもちゃんと──かどうかは分からないけれど、少なくとも怒られたりはしなかった──私は仕事ができていた。それが、ただ、寂しい。
疲れていた日はいつも、帰りの電車の中で、帰りたくないな、と思う。あるいは、どこかに行ってしまいたい、と。ときどき泣きたくなったりもする。今日もそうなるのだと思っていた。忙しさの中で消えかかっていた分の孤独が、仕事が終わってから押し寄せてくるのだと。でも、違った。なにも感じなかった。もう自分でも自分がわからない。
そういえば、新しい人がいた。
他のバイトの人に色々と教えてもらっていて、完全に挨拶するタイミングを逃したけれど。ついでに私も向こうの名前はわからない。人の顔と名前をおぼえるのは苦手だ。初対面の人と話すのも苦手。入ってからひと月経ったけれど、いまだに人見知りをしている。慣れた人とはよく喋るけれど、そうじゃない人には自分から近付きすらしない。
…感じ悪く、思われているかもしれない。私をどう思うかは向こうの自由だし、私も気にはしないけれど、不快にさせていたらちょっと、申し訳ない。ただただ人見知りなだけです。
心の中で頭を下げる。
口には出せない。
話せない。
彼が、ここにいてくれたらいいのに。
そうしたら、もう怖いものなんて何もないのに。

雨がふっていた。
明日はうんと寒いらしい。
最高気温が1桁。
もう春だな、と思っていたのに。
あ、め けーむりたつ いつしか、ゆーめうつつ よみびと なーもしれず ふるえる、つぼーみよ
ずっと同じ曲を聴いていた。
行きも帰りも。
もっと降ればいいのに。
いつかも思った気がする。
雨を見ると、もっとごうかいに降ってほしいと思う。ざーっと。あちこちに小さな川ができるくらいに。そうしたら、歌いながら歩いていても平気なのに。
春も夏もきらい。
でも、こんな時期に冬のニットを着るわけにもいかないから、寒いのも困る。早く終わってしまえばいいのに。春も、夏も、嫌なことも、私自身も、ぜんぶ。そうして、真っ白な冬だけが残ればいい。
なけなーいのーなら うたーを とまりーぎとし とりよ、こよい、そばにー かさねーたこえを そぉっと かぜにーのせる とおき、ふゆの、きみにー
雪原の中に、誰かがたたずんでいる気がする。それが誰なのか、私にはわからない。冬に色濃く影を落とす宝石のような彼なのか、それとも、あの人なのか。