2018年5月4日

──ちゃん。
名前を呼ばれる。下の名前で。
微かに眉間にしわが寄る。
苗字で呼んでくれたらいいのに。
どうしてわざわざ下の名前で呼ぶんだろう。そんなに子どもっぽく見える? "受け"の話を思い出しても、もう笑えなかった。
今日は忙しかった。
カウンターもほぼずっと満席だった。
彼はどこにもいなかった。
ずっと、ひどく孤独だった。
少食なんだね。
その人は言う。
目を合わせられなくて、表情は分からなかった。私がご飯をよそうところを見ていたのかもしれない。そんなことはどうでもよかった。
食事をとるという行為は苦手だ。昔よく怒られた。昔からあまり食べない子どもだったのだ。たぶん。親はそれを良しとしなかった。ご飯を残すと、とても怒られた。子どもの頃に植え付けられた記憶は、大人になっても消えない。私はいまだに食事が苦手だ。
るりちゃん。
声だけがした。姿はどこにもない。タバコの匂いが充満しているせいかもしれない。あの人は、よくタバコを吸っていたから。でもそれだけで十分だった。声だけで。
休憩時間は、ずっと「笑」と「咲」という字について考えていた。いつ入れ替わった? 江戸時代、上田秋成が書いた「死首の咲顔」、この時は「咲」が「わらう」という字だった。それとも既に、この時代に混合が始まっていたのだろうか。そもそもなぜ入れ替わってしまったのか。字の意味を考えるなら、口が付いている「咲」が「わらう」で、竹が付いている「笑」が「さく」という字なのは明らかだ。
こういうことを考えている時は、余計なことを思い出さずに済むから楽だ。

お疲れ様、と言われて、一瞬脳の理解が遅れるのはいつものことだ。帰ることを意識しながら仕事をしていない。帰る時間も気にしていない。バイトの先輩が、あと何分、とか言うのをぼんやりと聞く程度だ。すぐに頭から消える。
まだまだ忙しそうな店内で、自分だけ帰るのがちょっとだけ申し訳ない。今日のシフトで女なのは私だけだった。
"女だから"先に帰される。
不満はない。
女だから、というのは変えようのない事実だ。そう扱われることにも不満はない。帰れと言うなら帰る。ただ、残ってほしいと言われたら、私は多分、同じように不満のひとつもなく残ると思う。特に、今日みたいに翌日も休みな日は。これで明日は午前に講義がある、みたいな日だったら帰りたいと言うかもしれないけれど。
どこにいても何をしても拭えない孤独や虚無感は、ここ最近とても強くなった気がする。昔は眠ってしまえばすべて解決すると信じていた。だからはやく眠る努力をした。でも、睡眠は一時的な逃避であって、解決策にはなりえなかった。私はずっと孤独だった。
同じ気持ちの人たちが集まる場所があるなら、どれだけ素敵だろうと思う。でも、きっと孤独は変わらない。虚無感も。どこかに行ってしまいたいと思うけれど、どこにも行けないとも思う。どこに行っても変わらない、とも。
人混みの中で、泣いてしまいそうになった。泣かなかったけれど。