何かがおかしい金曜日


お買い物に行きたい。
そう呟いたそいつの目は、俺に「一緒に来い」と言っていた。

「“花の金曜日”って知ってる?金曜日は夜遅くまで遊んでいても怒られない日なのよ」

…言葉の解釈が少しおかしい気もするが…訂正するのも面倒なので放っておくことにした。

「でも明日はバイトがあるから、そんなに遅くまで遊べないけれど」

…もはや花の金曜日ですらねぇじゃねーか。
喉まで出かけたツッコミを、何とかため息にして吐き出す。本当にこんな奴が多くの人気店のオーナーなのかと疑いたくなった。

「あ、あのお店」

嬉しそうに歩調を速めたそいつの目指す先には、洋風の建物――俺にはどれも同じに見える――と、その手前にある大きな道路。
あろうことかそいつは、安全の確認もせず一直線で目的の店へ向かおうとしていた。

「おいっ!!」
「わぁっ、」

向こうから車が来るのが見えた俺は、咄嗟にそいつの手を掴み引っ張った。
バランスを崩したそいつは俺の方に倒れこみ、二人で歩道に尻餅をついた。

「何やってんだ!危ねぇだろーがっ!死にてぇのか!!」
「お、落ち着いて…大丈夫だから、」

もう少しで死ぬところだったってのに全く焦っていないどころか、へらりと笑みを浮かべたそいつに腹が立ち「何が大丈夫だ」と、怒鳴りかけた…が。いつの間にかこっちに走って来ていた車は目の前の道路脇に停車し、運転手が窓を開けてこっちを見ていたので口を閉じた。

「よ、嬢ちゃん。今日は無茶しなかったんだな。一応、嬢ちゃんが見えた時に減速はしといたんだが…」

車の運転手は慣れた口調で笑いながら言う。『今日“は”』ってことは、いつもこんなことしてんのか、こいつ…。

「この子に引っ張られたの。私はいつも通り歩いてただけなのに…」

俺を目で示し、少し不満そうな顔をするそいつに、運転手のオヤジはげらげらと笑った。

「そりゃ、初めて見る奴には嬢ちゃんの歩き方は異常だろうよ。血相変えて怒鳴んのも無理ねぇさな。
…おい、ボウズ。その嬢ちゃんは危なっかしい。一人で何でも出来ちまうし、人を頼ろうともしねぇ。…しっかり見ててやんな。大事なもンってのは常に傍に置いとかなきゃなんねぇからな」

じゃあな、嬢ちゃん。
…運転手のオヤジは、会ったばかりの俺の何を見抜いたのか、説教じみたことを勝手に喋り、きょとんとした顔のそいつにさっと手を上げて軽く挨拶すると車を走らせて行ってしまった。
つーか、本人の前で言うか、普通?
恥ずかしくてどんな顔すればいいか分かんねぇじゃねーか、あのオヤジっ!
…バレた…よな。今の話でバレて無いはずがねぇ。
なんて言やいいんだよ、くそっ。

「…」
「…」
「…」
「……な、なぁ…」
「やっぱり、帰らなきゃだよね…」
「…は?」

意味不明なそいつの言葉に思わず顔を上げると、どこか遠い目をしたそいつは見たことのない表情をしていた。

「…さっきおじさんが言ってたでしょ?大事なものは常に傍に置いてないとダメだって。…シロくん、聞いてなかったの?」

聞いていた。俺のことを“ボウズ”呼ばわりしたとこまでしっかり聞いていた。
その『大事なもの』ってのがこいつのことで、俺は要するにこいつのお守を任されたんだと思うし、俺もこいつから目を離さずにいようと思っていたんだが…こいつのこの表情は、一体なんだ…?

「…あっちの世界に、帰らなきゃだよね。シロくんの大事なものは、ここには無いんだもん。帰って、隊の人たちや、おばあちゃんや、桃ちゃんを護ってあげないと、でしょ…?」

…あぁ、そういうことか。
全く…人の話を聞いてないのはどっちだよ。ピンポイントでしか聞いてないから、変なこと考えんだ。

「…違ぇよ」
「え?」
「俺の大事なものは…お前の言うようなものじゃねぇ。確かにあいつらも大事だが…もっと、大事なものが俺にはある」

一度言葉を切り、深く息を吸う。
…何だこれ。あのオヤジの所為でするつもりもなかった告白をしなきゃならねぇじゃねーか。ふざけんな、あのオヤジ…。

「…俺の一番大事なものは…「…え…?」…え?」

え?
やっと決心して口を開いたのに…喉まで出かけた言葉はあと一歩の所で再び喉の奥へと引っ込んだ。
目を見開き俺の言葉を遮ったそいつの目線の先には…

「…え、?」

…俺の左手の一部が、透けていた。
瞬きを繰り返し、光の加減かと左手を動かしてみるが…間違いなく、俺の左手は半透明だった。



(何が起こったんだ…)