淡く脆い約束を | ナノ


  9.名もないセカイ


…冬獅郎が目を覚ましたら…きっと素直にあっちに帰ってはくれないだろうと、心の中では分かっていた。だけど、私はその可能性を、見て見ぬふりをした。
そして…

「優衣!ふざけんなっ!!俺があのまま帰るとでも思ったのかよ!?勝手に一人で終わらせてんじゃねぇっ!!」

…予想通り、彼は来てしまった。
マンションはオートロックで、エントランスにある機械に暗証番号を入力するか、こっちから鍵を開けないと住人以外は入って来れない仕組みになっている。
冬獅郎は、エントランスに付いているカメラに向かって、必死に叫んでいた。だけど、大騒ぎしている彼に不審な目を向ける人も、追い払おうとする管理人さんもいない。
なぜなら、見えないし聞こえないから。
…きっと浦原さんの話を聞いて慌てて来たのだろう。冬獅郎は死神の姿のままだった。

「っ…だめだよ…もう、会わないって…決めたのっ…」

自分に言い聞かせるように、こっちの声は向こうには聞こえないけれど、私はカメラに向かって呟いた。

「優衣…ちゃんと、冬獅郎と話し合った方がいいと思うぜ?あんなんじゃきっと、冬獅郎も納得できねぇだろ」
「…でも……会ったらきっと、離れたくなくなっちゃう。…冬獅郎の傍に居たら…また冬獅郎が怪我しちゃう…。…本当はっ…会いたい。会って…抱き締めて、好きって言いたい……けどっ…もうあんな思い、したくないから…っ…」

…カメラを通して見るだけでも、目が覚めたと知れてよかった。一目でも…起きている姿を見られてよかった…。

「…もう…さよなら、したいの…」

大切な人たちを、自分の所為で傷つけてしまう日々に別れを…。

「………俺は、納得出来ねぇ。好きな奴が苦しんでるのに、放っておけるかよ」
「え?…や、ちょっ…黒崎くん!?」

私がインターホンに背を向けたその時、黒崎くんは何かを決意したような顔で私に向き直ったかと思うと、軽々と私を抱えて部屋を飛び出してしまった。

「お、降ろしてっ!」
「だめだ。こんなの、俺が冬獅郎でも納得できねぇ」

もがいてみても、所詮は男と女の力の差。
敵うわけもなく、私は冬獅郎のいるエントランスまで来てしまった。

「…優衣…」
「…っ」

俺を見て顔を強張らせる優衣と、優衣を抱えて走ってきた黒崎。
黒崎は優衣を降ろすと、黙って優衣の背中を俺の方に押し出した。

「…優衣…悪かった」
「っ、何で謝るの?…謝らなきゃいけないのは…私の方なのに…」

俯いていた優衣は、俺が謝るとはじかれたように顔を上げ、困ったように眉尻を下げて微笑んだ。…泣き笑いのような、こんな顔の優衣を見たくなくて俺は、こいつを護ると決めた筈なのに、結果的には俺の所為で優衣を傷つけ、再びこんな顔をさせてしまった。

「…もう、俺のことは嫌いか?」
「そんなことっ……………うん……そう、だね…。だからもう、私に関わらないで…っ」

俺の言葉を否定しかけた優衣は、暫く逡巡したあと泣きそうな顔で声を絞り出すようにそう言った。
…考えてること、全部顔に出てんだよ。言いたくもねぇこと無理して言いやがって…馬鹿野郎…。
それでも優衣が、俺に護られることを望まねぇなら、これ以上優衣の傍に居ることは俺のエゴ以外の何ものでもねぇし、優衣の為を思うなら願いを聞いてやるべきだろう。

「…分かった。俺は二度と、お前の前に姿を現さねぇ。…護ってやれなくて、悪かった」
「………っ、」
「おい冬獅郎!本気かよ!?」

俺の返事に顔を俯けた優衣が一言も声を発しなかった代わりに、今までずっと黙って見ていた黒崎が、俺に食って掛かってきた。

「てめぇには関係ねぇ…これは俺たちの問題だ。…黒崎、こいつが好きなんだろ?俺がいなくなれば、邪魔な奴もいなくなる」

半ば自嘲的な笑みを黒崎に向け、これ以上踏み込んでこないでくれと心の中で叫ぶ。
俺を罵るのは構わねぇ。いくらでも俺のことを責めるといい。大事な女の一人もロクに護れなかった、大馬鹿野郎だから。
…だが…これ以上、優衣の前で俺たちの下した決断を否定しないでくれ。これ以上…優衣の心をかき乱さないでやってくれ。でないと…

「オオオオオォォォ…」

…虚が集まって来ちまう…。

「きゃあぁぁぁ!!」
「優衣!」

危惧していた通りに現れた虚に、優衣は悲鳴を上げてしゃがみこみ、黒崎はそんな優衣を庇うように抱き締め、俺は背中の氷輪丸に手をかけた。
…待て。いいのか?俺が戦えば、優衣はまた自分を責めるんじゃねぇのか…?

「冬獅郎っ!何してんだよ!!」
「!」

黒崎の叫び声で我に返った。虚は優衣を捕まえようと手を伸ばし、黒崎は必死に優衣を庇いながらそれを躱していた。
…黒崎が死神化してねぇのは恐らく、浦原の店に代行証を忘れてきたからだろう。
俺は頭の中から余計な考えを追い出し、刀を抜いて虚に斬りかかろうとした…が、目の前に黒崎が飛び出してきたことで、その勢いは完全に殺されてしまった。

「なっ!?邪魔だ!!」
「優衣!?どういうつもりだ!お前一人でそいつに敵うわけねぇだろ!!」

黒崎はどうやら、さっきまで必死に護っていた優衣本人に突き飛ばされたらしく、俺の声も届いて居ないように、取り乱して叫んでいた。

「もう、終わりにしたいの!私さえいなければ、もうこんな悲しいことも起きないから!!…ありがとう、黒崎くん」

少し離れた所で、晴れやかな笑顔を浮かべてそう叫んだ優衣は、次の瞬間…真っ赤に染まった。




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