教室の中にほわりと白い湯気が舞い上がって、甘い香りを漂わせて消える。
柔らかい色をしたミルクティーをゆっくり飲み干すと、先程来た
『今どこ?』
という友達からのメールに
『まだ学校。
これから帰るよ』
と簡単に返信し、紙コップをゴミ箱に放り込んで教室を出る。
『ミルクティー色』
なんて言い始めたのは一体誰なんだろう
別に『カフェオレ色』でもいいわけだし、なんなら『淡い茶色』とか、何も『ミルクティー色』でなくてもいいじゃないか。
とどのつまり私は、私が一番好きな飲み物の色に例えられているのが不満なのだ。
ミルクティーを飲むたび、見るたび
思い出してしまう。
“彼”のことを。
冷たい風が容赦なく制服の隙間から私の体温を奪う。
キンとした空気が頬や耳や、手先を刺すようだ。
高校生になって初めての冬、こうして“彼”のことを考えながら歩くのは何度目だろう、とぼんやり考える。
何度目?
数え切れない。
そんなの考えるだけ無駄だ。
ミルクティーに限らず、いろいろな物や言葉を介して“彼”は私の中に入り込んでくる。
そのたびにぎゅっと胸が潰れるように痛み、私はその痛みを感じないために、いろいろな物を無視してきた。
───否、しようと、した。
だけど出来なかった。
だから私は不満なのだ。
思い出してしまう。
“白石蔵ノ介”を。
中学を卒業して、私と彼は正反対の方角の高校に進学した。
これでは朝や放課後すれ違うこともない。
きっと彼は高校でも一生懸命部活をやるのだろうし、中学生のときより帰りは遅くなるのだろうし。
卒業の時、告白しようとは思わなかった。
たまに話しをする程度のクラスメートでしかないし、高校が別々なことも、その高校が正反対の場所にあることも知っていた。
彼が部活に一生懸命なことも、積極的な女の子が苦手なことも。…まぁ、それは言い訳だが。
告白なんて、意味が無いと思った。
付き合いたいのか、と聞かれたら、わからない。
もし万が一、受け入れられたとして、学校も正反対で、部活で忙しくて。
私が堪えられなくなりそうだ。
逢いたいのに逢えないなんて。
なぜだか、告白しても、その先はうまくいかない予感がしていた。
私は何も言わずに卒業した。
だからと言って、『好き』な気持ちをそのまま殺してしまえるほど大人でもなかった私は、今こうして、苦い思いをしている。
でも、どうせ言っていたって、苦しいことには変わりない
と、思っておく。
でなければ、私は何のために今痛んでいるのだ。
そこまで考えてハッとする。
…いやいや、違う違う。
私はもう苦い思いなどする必要はない。
もう逢えないのだし、忘れてしまわなくては。
『好き』だという気持ちも、“白石蔵ノ介”も。
だから『ミルクティー色』と、彼の髪色を例えた見知らぬ誰かを少し恨んだ。真っ直ぐ帰る気分じゃない。
だからと言って、この街は人で溢れている。
ゆっくり過ごす場所も、ない。
いつもよりダラダラと歩いて駅に着くと、すぐに来た電車に乗った。
最寄り駅はもうすぐだ。
見慣れたホームに降りて、改札を出る。
夕日はとっくに沈んで、もう辺りは暗い。
駅をいつものように出ようとすると、見覚えのある色を見て、動揺した。
なんで、と思わず呟くと、顔を見られないように下げた。
なんで居るの、“白石蔵ノ介”が、ココに。
人を待っているようだった。
改札から出る人の波を見ていたから。
気づかれていませんようにと願って、人の波に紛れる。
「──浅井さん!!」
「!!」
振り向こうか、どうしようか、迷った。
だけど心臓が跳ねてしまった。
刹那、涙が出そうになって、その時私はどれだけ“白石蔵ノ介”に焦がれていたか思い知った。
「浅井さん…やろ…?」
私が立ち止まって、でも反応しないからか、彼は私の顔を覗き込むように聞いた。
「…久しぶり」
「やっぱ浅井さんやった」
そう言って彼はホッとしたように笑った。
駅からゆっくりと歩く。
なぜ、彼と今並んで歩いているのだろう。
しばらく二人とも無言だった。
私は、聞きたいことはたくさんあるはずなのに、何を何から聞けばよいのかわからなくて結局口を噤んだままだ。
彼は先程から、私よりもゆっくりゆっくりと歩いている。
そのため私の斜め後ろにいる彼をチラリと見たら、彼と視線が合った。
はにかんだような笑顔を向けられて、視線を逸らす。
ドキドキして、手が震えた。
じっとり手に汗をかいていて、そのせいか指先がやけに冷たい。
「…浅井さんを待っててん」
ポツリ、と彼が言った。
「…なんで?」
視線を合わさずに聞く。
歩みも、止めない。
彼は私がそう聞くのをわかっていただろうに、少し間を空けて言った。
「浅井さんに、逢いたくなった」
その言葉に、私の足は止まる。
人通りの少ない場所に来ていた。
「深井さんに協力してもらって、待ってた」
あぁ、と一人納得する。
だからさっきメールが。
あれは彼が送らせたのか。
「…迷惑やった?」
「…うぅん」
私も逢いたかった、なんて、言えない。
まだ、言えない。
「…浅井さん」
背中で、今彼は私を見てる、と思った。私は彼を見るのが怖い。
でも、振り返った。
指先が痛いくらい冷たい。
身体が震えた。
「好きや、」
今までの私の苦労も知らないで。
涙で視界がぼやけた。
彼は、躊躇いながら私の手に恐る恐る触れる。
私はこの後待ち構えているであろう苦しみを思いながら、それでも彼の手を握り返した。
(どうせどちらに転んでも苦しいなら
一緒にいる方がマシなのかもしれない)
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