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「榛葉さん、すみません」

その時彼は、本棚の整理をしていた。


換気をしようと開かれた窓から吹きこむ緩い風は、春の温かさを帯びている。窓の外で揺れる葉は生憎桜の木ではないが、上空から下りている太陽を反射して、十分に幻想的だ、椿はそう思った。

この季節に差し込む日の光は普段以上に眠気を誘うものらしく、窓を背にして椅子に腰かける我らが生徒会長安形惣司郎はいつものことながら、椿の目の前に座っている丹生、加えて隣で書類を整理しているはずの浅雛までもが、うつらうつらと眠そうに目を擦っていた。


月に薫る


「んー?どうしたの、椿ちゃん」

黙々と書類に目を通す椿の業務用デスクの後ろには、生徒や過去の学園功績に関する資料が所狭しと並んでいる。庶務の仕事と称して彼自身が始めた本棚の整理は思いのほか長引いているようだ。数冊の資料に目を遣った後に規定の場所にしまい込んだところで、椿の凛々しい声が彼を読んだ。
ふと振り返った彼は、自らの名前を口にした後輩のもとへ短い距離を進む。

「この書類、おかしな箇所が…」
「はいはい、どこらへん?」
んー、と少し目を細めてデスク近づく彼と一定の距離感を保とうと、椿は体を若干傾けた。

いくら生徒会の仕事―主に会長に任されるような大きなものだ―を任されている椿とはいえ、やはり稀にわからなくなることやいまいち理解し難い所もある。そんな時、一年でも二年でも年上の先輩がいてくれるととても心強かった。それが普段から面倒臭がりの安形の世話を焼いている彼だったら、尚更だ。

ここです、と指で指し示すと数秒その箇所に視線を落とした彼が、今度は納得したかのように椿に目を向けた。

「これは単なる印刷ミスかもねー。担当の先生のところに行って、見てもらうといいよ」
優しい笑顔で椿にそう言った彼から、タイミングを見計らっていたかのようにふわんと香りが漂ってくる。一定の間を置いているといえど、そこは互いの肩と腕が触れる距離にあるのだ。返事をしようと準備をしていた椿の鼻が、それを拾ってしまった。

(む…?このにおい、どこかで…)
椿がひっそりと眉を潜める。どうも、嗅いだことのある香りだ。どこで嗅いだ、何の香りだということは、記憶にもやがかかったようになって思い出せない。
再度すん、と気づかれない程度にそれを嗅いでみた。

(なんのにおいだ…?)


「椿ちゃん?」
「あっ、は、すみません。ありがとうございます、後で確認にいってみます」
「うん、また何かあったら言ってね」
普段ならすぐに返事をする椿が固まって眉間にしわを作っていることに異を感じたのか、彼が長めの髪の毛を垂らして椿の顔を覗き込む。はっとなって返答した椿に、彼はまた笑って声をかけ自分の仕事に戻っていった。

その後も椿はよくわからない疑問を抱いて、悶々とした放課後を過ごすのだった。







「おほっ、椿じゃねえか」

少し埃っぽい図書室の本棚と本棚の間で、椿は苦戦していた。
背の高い本棚の前で、目的の本に手を届かせようと精一杯に腕を伸ばしながらつま先を目一杯立たせる。それでも届かないものは仕方がなくて、脚立を持って来ようと観念しかけたそのとき、聞き覚えのある声が聞こえた。

「会長。どうなさったんですか?」
「図書室は静かだから昼寝に最適だと思ってな」
「4時から会議って、知ってますか?」
「わーってるよ」
昼寝、という言葉を聞いて眉間にシワを刻んだ椿にバツが悪そうな顔をした安形が、がしがしと自らの後頭部を乱す。静かにため息をついた椿を見て話題を変えようとしたのか、欠伸の後に再度口を開いた。

「椿はなんか、大変そうだったけど」
「ああ、読みたい資料に手が届かなくてですね…」
椿も安形と同様にバツが悪そうに顔をしかめ、後頭部に手を当てる。あまり自身の弱いところを見せたくない椿としては、当然と言った反応だった。

「椿はちいせぇからなあ…どの背表紙だ」
「すみません…」
安形が面倒臭がらずに自ら物事の手助けをするのは、珍しいことだ。最初の呟きさえなければ素直に喜べたはずが、…と思いながらも安形に資料の場所を教える。

安形は180センチと背が高いので、そこまで腕を伸ばさなくとも容易に目当ての本に手が届く。
僅かな衣擦れの音と共に動いた安形から、不意にいい香りが椿の鼻を掠めた。


昨日と同じように眉を潜めた椿は、もう一度その香りを鼻孔に誘い込んだところで、ふと思い出す。


「………会長、榛葉さんと同じにおいがします」

そう、たった今安形から香ったそれは、昨日生徒会室で椿を悶々とさせた原因の香りと全く同じものだった。そこで椿は、己の謎が解けたことに気付く。

(…会長だったのか)
彼からのいい香りはどこかで嗅いだことのある香りだった。その正体は目の前にいる安形から、以前何かの拍子に香ったそれだ。なるほど、と相槌をうつ。

「…ミチルと同じにおい?」
くん、と自身の腕を鼻に当てて嗅いだ安形は、さっぱりわからんと呟いて小首を傾げた。
「はい、昨日榛葉さんから会長と同様の、いいにおいがしました」
「ふーん…」
そのあと少し考えた素振りを見せた安形が顔を上げてニヤリと意地の悪い笑顔を見せる。

「柔軟剤とかが一緒なのかもな」
それだけを言い残して、踵を返した安形。
はあ…と手渡された資料を抱えながら、事態がよくわかっていないような返事をした椿は、安形の広い背中をただただ眺めていた。





**

続きます…!



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