序章
「……おい」
心臓が大きく跳ねる。
低い声に呼びかけられて、少年は手を止めた。動かしていた手は一度止めると瞬時に暑くなり、体中の汗腺から汗が吹き出た。
暗がりにいた少年とは反対に、明るい道路に立つ男の顔は逆光でよく見えない。夏の強い日差しの照り返しで道路は鏡のようで、時折水が走るように波打って見えた。そこに立つ男の姿も陽炎のようで、どこか幻めいて見える。
──何だろう。
男は軽くこちらに体を向けて、再び声を発した。
「やめとけ。そこは危ない」
落ち着いた声に言うほどの危機感は見られない。反応の薄い少年に苛立ったのか、男は頭をかいて言い直した。
「あー……だからな、あれだよ。それはお前の手に余る」
意味わかるか、と尋ねられた。少年は頷かず、ただじっと男を見つめる。
注意された、ととらえればいいのだろうか。しかし何故、自分の行動を見てこの男は注意しなければならないとわかったのだろう。
──誰だ。
警戒心をむきだしにした少年に諦めた様子で、男は体を進行方向に向けた。
「とにかく、やめとけ。今なら間に合うから」
そう言って男は踵を返し、のんびりとした足取りで光の中に消えていった。
そうしてまたゆらめく道路を見ながら、少年は止めていた手を動かした。
──幻だ、あれは。
幻なんだ、と言い聞かせていた。
序章 終り
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