ここで泣き言の一つでも言えば少しは手助けしてやろうと思っていたが、明良はその言葉を飲み込んだ。これだけの憎まれ口が残っているなら、大丈夫だろう。
 ぱしゃん、と挨拶よろしく鯉が跳ねる。



 そして、それからさほど間を置かずに帰ってきた嵐は、自室の惨状と、突如として現れた池に目を丸くする羽目となる。家を留守にしたのは大した時間でないにも関わらず、そんな短い時間でどうしてこんな大事が起きるのか、理由は縁側で家族と一緒にのほほんと池を眺めている天狗と明良を見れば明白であった。
「あれが、これか」
 天狗はあさっての方を見る。
「努力の結果だよ」
「……俺の部屋にだけ台風が来たみたいになってるんだけど」
「努力には多少の痛みも必要ってことで」
 何故、明良が天狗と仲良くなっているのか、天狗が姿を見られることをよしとしているのか嵐には理解出来ない。原因と結果の間に、とにかく色々あったということだけは、部屋と庭の様子から察することは出来たが。
「石から鯉なあ」
 嵐は縁側にしゃがみ込み、池を眺める。深い青色を呈した鯉がのんびりと泳いでいたが、嵐の姿に気づいて一匹、二匹と寄ってきた。
「民話か何かで聞いたな。竜の子供が岩から生まれるって話」
「そういや、お前、そっち方面に知り合いでもいるの?」
 明良が問う。
「そっちって」
「竜」
 嵐は記憶を探すように中空を見つめた。
「どうだかなあ……覚えてる限りじゃ、ねえけど」
 その答えに何故だか明良も天狗も呆れたような顔になり、嵐はどんな答えを期待していたのかと不審に思う。
「……それにしても、随分大きな巣を作っていったもんだな」
 嵐は感嘆の息をもらした。
 初めは叱り飛ばすぐらいのつもりでいたものの、暢気に池を眺めて喜ぶ家族や、微かに申し訳なさそうな雰囲気を醸し出す天狗の背中を見ていたら、そんな気は失せてしまっていた。
 多分に、池がもたらす水の匂いと穏やかな音が、これまで降り続いていた雨とは違った感慨をもらたしたからであろう。
 明良ものんびりと縁側で足をぶらつかせながら言う。
「いつ、竜になるんだろうな」
「……さあね」
「まあ、夏の間は涼しげでいいんじゃないか」
 嵐がぼんやりと言うと、天狗は「ならいいけど」と、どこか腹をくくったような顔をして、あぐらをかき直す。
 雨上がりの空は澄み渡り、夏にしては高く感じるところに青空が広がる。輪郭の際立った雲の合間に青色の輝きが走り、きいん、と鉱石の割れるような音を響かせた。
 それは新たな命の誕生を喜ぶ声であり、庭に泰然として広がる池の主も、いずれ目指すべき空の高みに向かって、水面から大きく跳ね上がった。



終り

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