「こんな場所で人の姿を保てるもんか。そこら中、嫌な空気がとっ散らかって、こっちの気力がなくなる」
「あの根を壊してほしいのに、それで出来るのかよ」
「頼むわりには失礼な態度だな。妄執の凝り固まった物といっても、元は植物さ。自然の寵児である天狗が敵わないなんて話、笑い話にもならないね」
 今にも耳を噛みそうな勢いでまくしたてる鴉に辟易し、わかったわかったと頷きながら嵐は根を見上げ、それから少年へと視線を転じた。
「根が切られたら桜も枯れる。それでもお前はいいんだな」
 最後の確認の意も込めて尋ねると、少年は黒い瞳に僅かに涙を浮かべながら頷いた。
「お願い」
 嵐は小さく微笑んで少年の頭を撫で、鴉へと目を向けた。
「根元からやってくれていい。槇さんは傷つけるなよ」
「人間にまで構ってられないね、自分で何とかするんだ。おれのは大技だから中にある物も一緒に壊してしまうけど?」
 再度、少年を見る。先刻と同じように彼は頷いて返した。
 嵐は低い声で鴉に言う。
「いい。やってくれ」
 鴉は了解したと言うかの如く一声上げ、嵐の肩から飛び立った。
 白いばかりだった風景に黒い一点が弧を描く。頭上に広がる根の大本である幹の周囲を飛ぶ鴉の姿が大きくなったように感じたが、気のせいだけではないようだ。
 天狗が鴉の姿を取るのには、人の姿を保てぬほどの力がそこにあるか、あるいは己の力がそれほど無い場合にのみ限る。後者の時は天狗としての力を行使するには至らないようだが、前者の時はその限りではない。
 人の姿を保つのに集中出来ないだけで、天狗の力は行使するに足るだけのものがあるはずだ。
 事実、人の姿でない分、力を高めつつ旋回する鴉の体は先刻の倍ほどにまで膨れあがり、溢れ出た力が軌跡となって黒い帯を作り出している。普通の大きさの時はそれほど不気味には思わなかったが、変貌した姿を見ると思わず息を飲まずにはいられなかった。軽口を叩く間柄ではあっても、やはり人外なのだ。
 旋回の速度が段々と速まり、その幅も狭くなっていく。嵐が少年を後退させようとした時、その手を少年が小さく握った。
──おや。
 今まで冷たかったはずの手が、本当に微かだが暖かい。
 しかし、当の本人はそれに気付いていないようで、顔に困ったような笑みを浮かべて言った。
「ありがとう。迷惑をかけてごめんなさい」
 少年の顔に浮かぶ表情から素直に感謝を受け取る気になれない。嵐は苦笑を浮かべた。
「他の奴に俺のこと話したりしてないだろうな」

- 231/323 -

[*前] | [次#]

[しおりを挟む]
[表紙へ]




0.お品書きへ
9.サイトトップへ

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -